ない。十日位ひ前に凧師が来て手入れをする光景《ありさま》より他には知らない。青野家などではその手入れだけでも三ヶ月も前から凧師が滞在して準備に忙殺されてゐたさうである。爪の代りの棕梠の毛からしてその年毎にいち/\分銅に懸けて重さを計つて置かなければならなかつたのだ。紙は毎年貼り代へるところもあるし、塗り代へで済すところもあつたさうだ。いざ当日となつて、吾家の凧などは到底この仲間には入らなかつたが、主だつた持主は夫々工夫を凝らした上句の新奇を競ふのであつた。B村の当日の騒ぎなどは恰も大川の川開きのやうな賑ひだつた。前日までは堅く秘密が守られてゐたから、何んな姿の百足が現れるかと、見物人は片唾をのんで待ち構へてゐる。競争者同志の間では深夜に間者を放つて敵手の工夫を窺ひにやつたなどといふ挿話も屡々伝へられた。或る持主は見物人に賄賂を贈つたり或ひは内意を含んだ数十名の味方を見物中に秘かに放つて、自家の凧が現れると同時に割れんばかりの賞讚の嘆声を放たしめて敵手の毒気を抜いてやる計画を立てた。A家の今年の凧の眼玉は本物の金だといふ噂が伝つて愕然としたB家では、にわかに胴片の鱗を悉く金箔で塗り潰した
前へ
次へ
全44ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング