。C家では先代が採集の途中で倒れ、遺言状の個状書の一つに加へられてゐたといふ白馬の尻尾の毛を、漸く今年は新しい当主が完成して百足の鬚を雪のやうな白髪に変へたといふ噂も流布された。だが反対党(議員選挙のいきさつからであるか、或ひは凧の争ひがもとになつて選挙の方も分れてゐたのか? 大凧の持主程の者は常々から幾派にも分裂してゐた。)の説に依ると、C家の主人が襷がけになつて深夜こつそりと黒い馬の尻尾を胡粉で染めてゐるところを垣間見て来た者がある。雨が降れば化の皮が現れる、それが証拠にはあの主人はこの一両日毎晩天候の具合を窺つて星月夜が続いてゐることをたしかめた後に、自分から吾家の今年の凧はこれ/\だと吹聴し廻つたのであるなどとも云はれた。D家の主人は当日二人曳きの車を一里も先きの隣村の橋畔まで飛して、望遠鏡をもつて遥かに吾家の凧を望んで、E家のよりも二間あまり高く飛んでゐたと云つて溜飲を下げようとすると、E家の主人はそれは風の享け具合で糸の長い方は反つて下に見ゆるものだと主張した。この両家は毎年糸の長さを競ふてゐた。
私は、このB村の凧上げ日の朝の光景などもはつきりと覚えてゐる。晩春のうら/\とする陽を浴びた芝生である小山の斜面に赤い毛氈を敷いて私達は競馬場のやうな凹地を見降してゐるのだ。競技に出場する程の凧になると一つの胴片の直径が五尺近くもあつたに相違ない、一つの胴片を一人の男が捧げるに充分だつた。それらは夫々両端を糸でつないであるのだが、彼等が意気揚々と繰り込んで来る光景を遠くから眺めると楯をかざした一列縦隊の兵士が調練をしてゐるやうに見えた。金色の楯をかざした一隊があつた。紅色の分隊があつた。銀色の楯をきらめかせて整然と駆けて来る小隊があつた。観衆は声をからして自党の隊伍に向つて、あらん限りの声援と賞讚をおくつた。――私には、あれが百足のかたちをした凧になるとは思へなかつた。つなぎ目なども見えない、バラバラの美しい団扇か楯により他見えなかつた。得体の知れない土人の踊りでも見てゐるやうな気もした位ゐだつた。……ところが、そのバラバラの楯や大団扇が一度び地を離れて空中高く舞ひあがつたのを眺めると、まさしく一個の巨大な百足に一変するのだ。百足は悠々と金色の胴体をうねらせて面白気に浮游してゐる。下で見た時にはハタキのやうだつた左右の棕梠の毛を結びつけた脚は、見事に百足の節
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