「そんなことはない。吾家の知合ひの青野家はちやんとある。悴のFとは今でも僕は文通してゐるんだもの。」
「一軒位ゐはあるかも知れんな。」
「百足凧といふのは――」と私は、こゝで何やら感慨深さうに首を振つたが、煩瑣を忍んで、曖昧ながらにでも此方が凧の構造を説明しなければならなかつた。
 凧だから勿論竹の骨に紙を貼つたものである。巨大な百足なのだ。大団扇のやうに細竹を輪にして、さうだ、丁度ピヱロオが飛び出す紙貼りの輪だ。之を百足の節足の数と同じく四十二枚、それには両端に竹の脚がついてゐる、つまり団扇の柄が上下についてゐるやうなものである。その脚の尖端には夫々一束の棕梠の毛が爪の代りに結びつけてある。この四十二枚の胴片はその左右の脚を、夫々均等の間隔を保つて二条《ふたすぢ》の糸でつなぎ合せるのだ。だから胴片は水平にひら/\とする。尾は、主に銀色で長く二つに岐れてゐる。頭には金色の眼球が風車の仕かけになつて取りつけてあるから、らん/\と陽に映えるのである。房々と風になびく巨大な鬚は、馬の尻尾を引きぬいて結びつけたものである。
 勿論凧師と称する職業家が造るのであるが私は、製作の実際は見たことがない。十日位ひ前に凧師が来て手入れをする光景《ありさま》より他には知らない。青野家などではその手入れだけでも三ヶ月も前から凧師が滞在して準備に忙殺されてゐたさうである。爪の代りの棕梠の毛からしてその年毎にいち/\分銅に懸けて重さを計つて置かなければならなかつたのだ。紙は毎年貼り代へるところもあるし、塗り代へで済すところもあつたさうだ。いざ当日となつて、吾家の凧などは到底この仲間には入らなかつたが、主だつた持主は夫々工夫を凝らした上句の新奇を競ふのであつた。B村の当日の騒ぎなどは恰も大川の川開きのやうな賑ひだつた。前日までは堅く秘密が守られてゐたから、何んな姿の百足が現れるかと、見物人は片唾をのんで待ち構へてゐる。競争者同志の間では深夜に間者を放つて敵手の工夫を窺ひにやつたなどといふ挿話も屡々伝へられた。或る持主は見物人に賄賂を贈つたり或ひは内意を含んだ数十名の味方を見物中に秘かに放つて、自家の凧が現れると同時に割れんばかりの賞讚の嘆声を放たしめて敵手の毒気を抜いてやる計画を立てた。A家の今年の凧の眼玉は本物の金だといふ噂が伝つて愕然としたB家では、にわかに胴片の鱗を悉く金箔で塗り潰した
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