しは歡迎にしびれた五體を籐椅子に横たへながら、どこからか聞えるシヤムパンの音を聞いてゐた。
 わたしの本棚の「比叡」「那智」も滿艦飾を裝ひ、見物人が現れた。――そして最早街のどよめきも靜まつたのでわたしもその飾りを降し、恰度水の季節も盛りとなつた折から、エンヂンの備へ付け工作にとりかゝつて夜を更してゐると、不圖窓の下に笛の音を聞いた。いつの間にか銀笛のことなど忘れてゐたがそれは今度は銀笛ではなくてその度毎に曲り角の生垣でゞも摘みとるらしい青葉の笛の音であつたが、どうもいつかの笛の節と同樣の歌を吹奏してゐるので――思はず窓をあけて「やあ」と言葉をかけてしまつた。すると、青葉の笛の吹奏者は脚を止めて、ちよつとわたしと視線を合せたが、不思議もなく取り濟して行き過ぎた。全くわたしは人違ひをしたらしいのだが、自分としてはあの銀笛の人の顏を知りもしないので術もないわけなのである。青葉の笛はこの頃一人や二人ではなく、露路にさしかゝると水兵達は皆巧みに吹き鳴らして通り過ぎた。あの拙い銀笛よりも何れも聽き好かつたが、何故かわたしはあの顏も知らない水兵の笛が待遠しかつた。風流氣《センチメンタル》といふわけ
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