を発してゐるだけだつた。
 雪江は、いきなり、
「ワー!」
 と叫んで、悸かしてやつたら何んなに面白いだらうと思つて、思はず身構えたが、三谷達と違つて常日頃あんなに生真面目な人なんだから――と気づいて、やつと我慢した。そして、それ以上の奇怪な行動を見るに忍びなかつたので、眼を伏せて息を殺し通した。
 毎晩斯んな処に来て、明方までも人形に戯れてゐるのか! と雪江は思つた。それにしても奇怪な人だ。神話時代にはピグマリオンといふ人物がある、またホフマン物語の中にも人形に恋する博士の話がある、乃至は左甚五郎の「京人形」の噺などが伝はつてゐるが、そんな、無生物に切実な肉感を覚ゆるピグマリオニストなんて称ふ変質者はおそらく伝説か、荒唐無稽の芝居の中の人物のみと限られてゐるのかとばかり思つてゐたのに、斯んな眼の先にも、ちやんと、あの通り存在するなんて、何とまあ見るも気の毒な光景だらうか! ――左う思ふと雪江は、気の毒さなんて通り越して、その不気味と云ふより寧ろ途方もない滑稽感に駆られて居たゝまれないやうな気がした。
 雨は急に勢ひを増して、窓の外は水煙りで濛々としてゐた。その間に――と思つて、雪江は物蔭を伝つて息を殺したまゝ逃げ出して来た。

     三

 三谷は壁に両脚を突つ立つて、恰で逆立ちをしてゐる見たいな格構で、脚の先を眺めながら――いよ/\気分がくさつて来たぞ! とか、蔵の地下室の穴蔵から誰か「葡萄酒」を盗み出して来ないか、
「酒でも飲まなくてはやりきれねえ!」
 などゝ喚いたり、突拍子もなく大きな声ではやり歌を唸つたりしてゐた。
「三谷になんてにも、気分が何うなんて云ふ現象が起るとは、世にも不思議なことだな――三谷、行つて来いよ、穴倉へ!」
 双肌を抜いで大の字なりに転がつてゐる加茂が煽動した。
「普段でも俺は彼処には到底独りぢや薄気味悪くつて入れないんだ、だつて昼間だつて真つ暗闇で、大層な龕灯を点けて行くなんて、俺は思つたゞけでもゾーツとする、彼処の風と来たら何とも云ひやうもなく冷々としてゐるからな。」
 葡萄酒といふほどのわけでもなかつたのであるが、田舎出来の酒やら果物が貯蔵してある穴蔵があつて――屡々彼等は其処へ忍び込んで、此処の馬飼ひの年寄が造つた青葡萄の搾り液を持ち出して来て、これは何世紀の葡萄酒だとか、飲める酒だとか――口先ばかりで酒飲み見たいなことを
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