でなければ自分の仕事は出来さうもない。」
と突つぱなした。誌しもしないのだが、彼の言のうちにはさつきから頻繁に、Rさん、Rさんといふ名前が出没してゐたのだ。
「わたしが居たら邪魔になりますか?」
「今迄は気にもならなかつたんだ。然し、若し邪魔になつても、さしあたり行き場のない時にはさうも云はないが、Rさんと、そんなはなしが出来たといふんなら、君にしたつて其方へ行つた方が運が向くだらうよ。」
「妙なことは云はないで下さいよ。わたしは何うしても此処で、一つだけはこしらへて、あなたへ置いて行かなければ気が済まない。」
「僕は御面なんて欲しくないんだ。」
斯んな場合のそんな返礼などといふわざとさに私は敵はなかつた。
「欲しくなくつても、わたしは置いてゆかずには居られないんだ。」
と彼は飽くまで強情を張つた。
「…………」
私は、そんなものを置いてゆかれることが、ほんとうに迷惑だつた。
「止めて呉れないか、僕は子供の時分から御面といふものが妙に怕くて……」
「だから、好みの注文を出して……」
「しつこいな。好みも何もありはしないよ。君には僕の云ふことが解らないのかしら。僕は御面なんていふものは嫌ひなんだよ。」
「一概に、左う云つてしまふものぢやありませんや。御面師と知つて、今迄あなただつて、あたしを置いて呉れたんぢやありませんか、急にそんな……」
彼の調子には不意と棄鉢の気が萌したやうであつた。贈らうと主張するのを、贈られたくないと謝絶する自分のわざとらしさも随分ときわどいものとおもふのであつたが、左うなると私も益々強情になつて、その上、不気味さともつかぬ戦きにさへ襲はれ出したのである。何をつくるのか知らぬが、いろいろな顔つきの御面を私はあれこれと想像すると、それが何んな類ひのものであつても、自分の持物になどなつたら、たとへ一日であらうとも、何か自分との因縁でもついて、いつまでゞもの思ひ出の種にでもなりさうな堪らぬ厭気を覚ゆるのであつた。――それにしても、あの朝停車場で彼と遇つた以来、もう一ト月にもなるのに、今が今迄、彼といふ人物にとても迂滑な親しみなどを覚えてゐた自分が今はもう他人の夢のやうに翻つてゐるのが吾ながら不思議であつた。
「ともかく注文を出して下さい。」
彼は頑として坐り込んでゐたが、余程酩酊してゐると見えて、思はず達磨のやうに前へのめりかゝつたりするのであつた。――「きくまでは決して動きませんよ。」
「困つたなあ……」
と私は大声で叫んだ。斯んな途方もない、斯んな仰山な、加けに厭に意味あり気な――何といふ馬鹿々々しいことだらうと私は苛立つたが、不図彼が私の面上に注いでゐる凝然たる視線に気づくと、わけもなく抗し難いきつさきに似たものに貫かれて、もう言葉もなくなつてゐた。
そして私は、つぶやくともなしに、
「俺も一日も早く、小説家に逆戻りをしなければならんぞ。――一体、何をまご/\してゐたんだらう。」
などといふ声を出してゐた。
「こつちも漸く、あぶらがのつて来たところだから……」
彼もつぶやくのであつた。
夜になれば、あたりはもう全くの夜中の感じで、Rが酔つた声でも挙げて繰り込んで来るより他は、滅多に人の声もない青畑の一隅である。――私は、暗闇に飛んでゐる蛍の点々たる光りをかぞえてゐた。肉親の人々の顔かたちがいくつとなく浮びあがり、その中にはもうこの世にゐない人達の、たゞ呆然と、とり済した御面が、ありありと入り交つてゐた。
私は、御面師の腕で彫まれるあれこれの御面のさまざまを、眼の先に描き出した。そして、在りのまゝなる人間の顔のつまらなさに引き換へて、仮面などといふものゝ、絶対に誇張された表情の怪美に眼を視張つた。自分の作風は、太い線をもつて滑稽《バロク》の段階に鮮明でありたいものだ! と夜空へ向つて眼を据えた。
「大層な蛍ですな!」
こちらの顔ばかり視詰めてゐるのかとばかり私はおもつて、気拙がつてゐたところが、その時彼は舌を巻いて蛍の美観を嘆じた。
底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房
2002(平成14)年7月20日初版第1刷発行
初出:「文學界」文圃堂書店
1934(昭和9)年7月1日発行
入力:宮元淳一
校正:伊藤時也
2006年8月3日作成
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