た。それでゐて、それは遊堕の後の窶れとは全く趣きの異なる何か張り切つた万遍のない神経がみちみちてゐるやうな迫力を覚えさせられるものであつた。私は次第に彼の崇厳な顔面に惑かるゝ感で、眺め入つてゐた。――すると間もなく、また彼が眼を開いたので私は驚いて眼を閉ぢた。
そんなことが三四遍繰り反されてゐるうちに私は、とてもてれ臭くなつたので、彼が更に仮睡を装ふて顔を伏せた間にそつと帰り仕度をして立ちあがつた。そして外へ出ようとした店先から、何気なく振り返つて見るといつの間にか彼も頭を持ちあげてゐたが、反対の海の方の空を眺めてゐた。いつまでも明方のやうな薄暗さで、今にも降り出しさうな空工合だつた。
翌日の明方頃、また私は空しい机の前を離れて、昨日の食卓で朝飯を喰はうとしてゐると、程なくまた彼が颯爽たる脚どりで這入つて来た。そして彼は私に気づくと、不意にからからと笑ひ出しながら、隣りに座を占めた。その時私は気づいたのであるが、彼の笑ひ声は鴉のやうな響きで、笑つても決してその表情は笑ひのために歪まぬのであつた。頭上の空を鳴き渡る鴉のやうに可成り長く笑ふのであつたが、彼の表情はカラス天狗のやうに悒鬱で、わずかに口が開いたまゝ喉の奥が空々しく鳴つてゐるだけなのであつた。
「やあ、また振られ同志の顔が出遇ひましたね……」
彼はそう云つて、なほも奇天烈なワラヒ声をつゞけてゐた。
「厭なことを云はないで呉れ給へよ、おもしろくもない。」
私は迷惑さうにつぶやいた。
「だつて、お前さんの顔には、ちやんとそうかいてあるんだもの……」
「……何うでも好いや。」
私は横を向いて、煩さがつた、――まつたくきのふの彼ではないが、私としても斯んな状態の折から、幾度びもそんなことを耳にすると、一層気持が滅入るばかりで途方に暮れずには居られなかつた。
ほんのわずかばかりの酒で、私はその時底もなく酔つてしまつた。――どんなはなしを彼と取り換したか殆んど記憶もないのだが「御面師《おめんし》――御面師とは?」
と私は彼が何かのはずみに、私に、おめんしですよと云つた時、さつぱり意味が解らずに訊きかへしたのであつた。
「般若とか、ひよつとこ――とか、そんなものをつくるのがしようばいなんで……」
さう云ふと彼は、ぐつたりと肩の力を抜いてふところへ向つて吐息を衝き、再び顔をあげると夢でも見るやうな眼つきで、ぼ
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