へ見つけ出されなければ、誰も悲しみを感ずる者はないのであるから、そして私自身だつて、そんな戦きは、その場限りで消えてしまふことなのであるから――結局、これは善行為と云ふべきであらう……ストア哲学を生活上の(芸術上ではなしに……)模範として遵奉してゐる私は、行為を健全と善に帰せしめなければ冒涜を覚ゆるのであつた。私は、自分の母親に関しても、ほぼ前述の如きいとも簡明なる女性観を持つてゐた。
 ともかく私は、あらゆる苦心をして、人目に触れぬように、あの仏壇の抽斗を、音もなく開き、静かに閉ぢて、煙りの如く舞ひ戻つて来なければならない。そして、立ち帰つたならば、早速母親へ宛てて時候見舞の手紙を書かなければならない――とも考へた。早く、斯んな煩い仕事は片づけてしまつて、自分は専念研究の机に凭らなければならない――などと慌てたりした。
「あの抽斗が空ツぽになつたら何うするの?」
 私はそんなことを呟いた。
「空ツぽを発見するのも俺ひとりか――」
「先祖伝来の掟を堅く守つてゐる母親は、内容を験べることなしに、やがて恭々しくあの仏壇の看守権を、僕の細君に譲り渡すことであらう。」
「空ツぽの抽斗が何代まで
前へ 次へ
全28ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング