。ぢや思ひきつて乗るわ。」
「慣れるまでは誰かが轡をとつて呉れるから大丈夫さ。君の轡のとり合ひぢや、とり手の志願者が殺倒して、一騒動が持ちあがるだらうよ。」
「空想ぢやないんですのね、あなたの「西部劇の歌」といふ作品は――」
「生活記録だね。」
「ぢや、あなたは、あの時分には、ほんたうに、あんな、アメリカ・インヂアンの着物を着て、麦袋を担いだり、枯草を積んだ馬車を駆つたり、居酒屋で手風琴を弾いて騒いだりしてゐたの?」
「思ひ出しても冷汗を覚える。――憫れなる者よ、何故あつて汝は汝の見る客観世界に満足せざるか、汝は太陽・月・星辰及び海原よりも、観るべき更に豊かな、更に偉大なる何物を把持するや――この聖人の言葉は俺の胸を貫く、それ故に俺は俺の幸福の追求のために与へられたる凡ゆる実在の事物に最高の満足を求めて悔なき筈であるものの、何故なるか、過去の己れの姿を回想するに及ぶと、その姿の憐れさ、その行為の滑稽さに目眩んで悪夢の谷に転倒する、明日、省る今日の己れが怖ろしい。」
「だからお酒を止めれば好いのよ。」
「うむ。都合が好いことには俺は空気にでも酔つ払ふことが出来るんだ、酔はうとさへ思へば―
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