産を持つて帰るから心配しないで待つておいでなさい。」
と書置きを残して逃げ出して来たのであつた。
私は、人生の半ばを既に一ト昔も超えてゐる健康な壮年者でありながら、斯んな愚かなトリックに頭を悩す自分を思ふと、就中妻に対して恥を覚ゆるのであつた、日増に、年毎に「この訪問」の手段が六ヶ敷くなるだけで、他に何の成長力もないこんな男を配偶者に選んだ婦人の上を思ふと、そぞろに憐れを覚ゆるのであつた。だから私は、決して彼女に、この謀りごとを打ちあけようとはしなかつた。こんなことを明らかに申し立てたならば彼女は、悲嘆に暮れ、十年の苦節も水泡に帰したか――といふやうなあきらめに達して、そして、私を軽蔑して、新生涯を求めに行くであらう――と私は思ふのである。
ただ、私は、人情のことは別にして、拡く、一婦人に、斯る類ひの悲しみや決心を抱かせるといふことは、紳士としてのこの上もなき恥辱である――といふ西洋古来の礼節を尊敬してゐたからである。
芸術――
それは、私、孤りにとつてのみの、永遠の苦悶であり、怖ろしき陶酔であり、果しなく花やかな巻雲であるのみだ。
――泥棒だつて、嘘つきだつて、あの仕業さへ見つけ出されなければ、誰も悲しみを感ずる者はないのであるから、そして私自身だつて、そんな戦きは、その場限りで消えてしまふことなのであるから――結局、これは善行為と云ふべきであらう……ストア哲学を生活上の(芸術上ではなしに……)模範として遵奉してゐる私は、行為を健全と善に帰せしめなければ冒涜を覚ゆるのであつた。私は、自分の母親に関しても、ほぼ前述の如きいとも簡明なる女性観を持つてゐた。
ともかく私は、あらゆる苦心をして、人目に触れぬように、あの仏壇の抽斗を、音もなく開き、静かに閉ぢて、煙りの如く舞ひ戻つて来なければならない。そして、立ち帰つたならば、早速母親へ宛てて時候見舞の手紙を書かなければならない――とも考へた。早く、斯んな煩い仕事は片づけてしまつて、自分は専念研究の机に凭らなければならない――などと慌てたりした。
「あの抽斗が空ツぽになつたら何うするの?」
私はそんなことを呟いた。
「空ツぽを発見するのも俺ひとりか――」
「先祖伝来の掟を堅く守つてゐる母親は、内容を験べることなしに、やがて恭々しくあの仏壇の看守権を、僕の細君に譲り渡すことであらう。」
「空ツぽの抽斗が何代までも引続いて相続されるであらうか。」
「子孫のうちの誰かが、やがて、それを発見して、何代目の祖先が斯る不心得を働いたのであらうか――と研究するであらうが、果して犯人を指摘し得られるであらうか。」
「来年の春は、ロシナンテの騎手になつて懸賞競馬に出場して見ようか知ら……」
私は、急行の三等列車に乗つてゐた。列車の轍の響きが私の耳に、ロシナンテ、ロシナンテ――と聞えた。
私は、列車の洗面所に入り、中から錠を降すと、ふところから紙の目覆ひを取り出して耳に掛けて見た。そして、黒い頬の鬚を撫でまはしながら、鏡に映る姿に眺め入つた。
「何といふ巧みな変装であらう、これぢや自分が見ても自分とも思はれない。苦労の甲斐があつた。」
などと呟きながら私は、尖つた頭布を被り、上衣を脱ぎ、ズボンをとつて見ると、黒い肉襦袢一枚で、紛ふかたなきメフイストフエレスであつた。
私は、扇子を使ひながら、鏡に向つて何時までも奇体に愉快な見得を切つてゐた。
窓の外は、インヂアンのガウンでロシナンテを飛したいつぞやの晩と同じやうな朧月夜であつた。
真夏の夜更けであつた。汽車は警笛を鳴して鉄橋を渡つてゐた。
底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第二十七巻第十号」新潮社
1930(昭和5)年10月1日発行
初出:「新潮 第二十七巻第十号」新潮社
1930(昭和5)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2009年12月9日作成
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