も引続いて相続されるであらうか。」
「子孫のうちの誰かが、やがて、それを発見して、何代目の祖先が斯る不心得を働いたのであらうか――と研究するであらうが、果して犯人を指摘し得られるであらうか。」
「来年の春は、ロシナンテの騎手になつて懸賞競馬に出場して見ようか知ら……」
私は、急行の三等列車に乗つてゐた。列車の轍の響きが私の耳に、ロシナンテ、ロシナンテ――と聞えた。
私は、列車の洗面所に入り、中から錠を降すと、ふところから紙の目覆ひを取り出して耳に掛けて見た。そして、黒い頬の鬚を撫でまはしながら、鏡に映る姿に眺め入つた。
「何といふ巧みな変装であらう、これぢや自分が見ても自分とも思はれない。苦労の甲斐があつた。」
などと呟きながら私は、尖つた頭布を被り、上衣を脱ぎ、ズボンをとつて見ると、黒い肉襦袢一枚で、紛ふかたなきメフイストフエレスであつた。
私は、扇子を使ひながら、鏡に向つて何時までも奇体に愉快な見得を切つてゐた。
窓の外は、インヂアンのガウンでロシナンテを飛したいつぞやの晩と同じやうな朧月夜であつた。
真夏の夜更けであつた。汽車は警笛を鳴して鉄橋を渡つてゐた。
底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第二十七巻第十号」新潮社
1930(昭和5)年10月1日発行
初出:「新潮 第二十七巻第十号」新潮社
1930(昭和5)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2009年12月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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