ヂングの下にだつて、床屋がありますから一寸行つていらつしやいよ、案内してあげますわ。」
「…………」
「ぢや散歩に出かけませうか。」
「もう一度踊らう――そのうちには、うちの細君を迎へに行つた馬車が帰つて来るだらうから。」
そして私達は再び踊りの群に投じた。
「はるかに聞える太鼓の響、新たに来れる唱歌隊――こんな歌を知つてゐる。」
「知らないわ。」
「大昔のドイツの歌だよ。」
「でも、調子好くステップに合ふぢやありませんか。」
「合さうと思つて歌へば何んな類ひの歌だつて、その場その場のステップに合ふ位ゐのことは当然ぢやないかね。――可憐な驚き方をする愛らしい人形だ、君は!」
「ぢや、もつと歌つて御覧なさいよ。今よりも、もう少し低い声で――ね。」
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「一度は美味に飽きたれど、
今は絶えて口にせず、
踊り躍りて破れ靴
これより先きは跣足だよ。」
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「面白い歌だわね。それから?」
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「沼の中より現れて、
舞踏の列につらなれば
………………
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「あら、もつと小さな声で――といふのによ。」
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「…………
舞踏の隊はすすみゆく
曲りし脚は跳ねすすみ
肥つちよ脚も飛びすすむ
見得外聞に懸念なく
ランラ、ランラ、ランラ……」
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「もう――沢山だわ。そんな大きな声で、見つともなくて困つてしまひますわよ。」
「やあ、窓から月が見える。――やあ、綺麗だ、花火が見事々々。……俺は斯うしてはゐられなくなつた。さよなら――」
私は後ろも見ずにホールから駆け出した。馬車は忠実に私を待つてゐた。
仏壇に灯明の炎がゆらめいてゐた。黒い壁に包まれてゐる焔が、青白く私の眼に映つた。インヂアン・ガウンを頭から眼深く被つた私は、雨戸の隙間から、ものの一時間も凝つと青白い炎を瞶めてゐた。
「俺は怠け者ではない。だが俺の勉学も労働も俺の空腹を充すに足るだけの物質を俺に与へないのである。辛ひに俺は、此処に見すぼらしく憐れに苔むした生家の名残を見出してゐるのだ。何うして俺は、この行為を自ら掠奪と称び、盗み――と嘲り、真に盗賊の挙動で、斯んな風に忍び込まずには居られないのだらう。親愛なる妻にまでも俺は、この行為を秘密にしてゐるではないか。馬鹿奴、真ツ昼間に大手を振つて出直
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