る怪し気な理髪師の仕業なり――といふことが判明したれども、理髪師の変装とその神出鬼没の出現は人力をもつては如何に為すべき術も見あたらざりき。彼は巨大なる一葉の団扇に乗りて空中を飛行し、山を越え、海を越え、更に時代を飛び越えて、永遠にこの疫病を流行させん――と豪語せり。されど、この「剃刀を用ひずして※[#「髟/(冂<はみ出た横棒二本)」、第4水準2−93−20]を剃る術」とのみ云へば魔的に聞ゆれど、余の研究するところに依つて見ると、これは単に、液状になしたる砒石の素を塗りつけるのみの至つて原始的な手段なりき。その他に於ける彼の様々なる魔術も科学上の説明を加ゆるなれば、凡そこの類ひのカラクリには相違なからんも、大方の諸賢は先づ世の化粧術師に対しては慎重なる注意を施すべきが肝要なり。彼の魔術師の子孫、何れの町に、如何なる姿に身を窶して潜み居るやもはかり知れざればなり。

     二

「一体何を見てゐらつしやるの? ――あたしの眼だけを凝つと見て……他のことなんて考へてゐては駄目ぢやありませんか……」
 私に腕をとられて颯々と踊りまはつてゐる綺麗なダンサーが、踊りながら私の耳に囁いた。
 私は、口が利けなかつたので、片隅に誘ひ出して、窓に凭りかかつた。
「あたし、足でも踏まれやしないかしらと思つて、とてもひやひやしてゐたわよ。」
「失敬した。――どうも有りがたう。」
「何うなすつたの? 何をぼんやりしてゐらつしやるの、変な眼つきばかりしてゐらつしやるぢやありませんか?」
「今朝、手紙を書かうとして、ペンを探すと……」
「あたしに手紙を書かうとお思ひになつたの? え、――それで?」
「君ぢやない、田舎の友達なんだ。」
「…………」
「何てまあ景色の好い面白さうな田舎だらう、是非行きたい――と何時も君が云つてゐる田舎……僕が其処の生活を歌つた詩を読んだ君の憧れになつてゐる――」
「伴れてつて下さる。嬉しい! 何時?」
「あさつて――だよ。そんな靴ばかりを履き慣れてゐる君には、とてもあの山径はのぼれないのだ。だから、ロシナンテと称する僕等の名馬を――だね、停車場へ曳いて来て貰ふことを頼む手紙なんだ。」
「でも、あたし馬になんて乗れないわ、怖くつて――」
「何うしても馬車をつけるわけには行かないんだ、細い細い山径を三哩も上らなければならないから。」
「……さうなると、また愉快ね
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