ら書きかけてゐるのは、またも父親を取り入れたものだつた。それが若し滞りなく出来あがつたら、彼はそれに「父を売る子」と称ふ題名を付ける気でゐる。――次の話は彼が未だその第一の短篇を書かなかつた頃のことである。
[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]
その晩も彼と父とは、酒を酌み交しながら呑気な雑談に耽つてゐた。晩春の宵で、静かな波の響きが、一寸話が止絶《とぎ》れると微かに聞えた。――父の妾の家の二階だつた。
「貴様の子供はいつ生れるんだ?」
忘れツぽさを衒つて、父は彼にそんなことを訊ねた。二人とも、もうイイ加減酔つて、口角をそろへて親類の悪口を云ひ合つてゐたが一寸止絶れたところだつた。
「六月ださうだ。」と彼も父の態度を模倣してわざと空々しく呟いた。
「いよいよ親父になるのか、貴様が!」
父はさう云ふと、傍の女を顧みて仰山に哄笑した。
「そして――」と彼は云つた。この阿父さんは――と云ふのは具合が悪かつたので、眼だけで父を指摘して、
「いよいよお祖父《ぢい》さんになるんだよ。」と云つた。
「ばかア――」
でれでれした太い声でさう云つた父は、云ひ終つてもあんぐりと口を開けた儘、
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