があまり浮かぬ顔をしてゐるので、周子はお世辞を云つた。
「顔色が悪い? さういふ不安を与へるのは止して呉れ。さういふことを聞くと俺は何よりも悄気てしまふ。」彼は軽く見得を切つてイヤに重々しく呟いた。周子は笑ひ出したかつたが、彼の様子が案外真面目らしいので努めて遠慮した。
「悪いと云つたつて種々あるわよ。変に顔色がまつ赤なのよ。」
「英雄《ヒデヲ》のやうか。」彼は気拙さうに笑つて、子供を抱きあげた。
「何か書いていらつしやるの?」
彼はうなづいただけで、横を向いた。その意味あり気な様子が、周子はまた可笑しかつた。それにしても此間うちから厭に不機嫌で、莫迦々々しい我儘を振舞つては、机にばかり囓りついてゐるが、一体斯んな男が何んなことを考へたり、何んなことを書いたりするんだらう……さう思ふと彼女は、どうせ碌なことではあるまいといふ気がすればする程、間の抜けた彼の顔に好奇心を持つた。すると彼女は、一寸彼を嘲弄して見たい悪戯心が起つて、
「創作なの?」と訊いた。
周子は彼がおそろしく厭な顔をするだらうとは予期してゐたにも係はらず、彼は、おとなしく、そして心細気にうなづいた。
「小説――と云つてしまふのは、おそらく狡猾で、下品なまね[#「まね」に傍点]だらうが、……」彼は聞手に頓着なく、あかくなつて独りごとを始めた。「俺は此間うちからいろいろ自分の家《うち》のことを考へてゐたんだ。親父のこと、阿母のこと、自分のこと、そして英雄《ヒデヲ》のこと……」
「あなたでも英雄《ヒデヲ》のことなんか考へることがあるの?」
「黙れ! 考へると云つたつて……」と彼は険しく細君を退けたが、今自分が云つたやうに重々しくは、家のことだつて親父のことだつて阿母のことだつて……そんなに考へてゐるわけでもない――といふ気がしたが、
「主に親父のこと……」と附け足した。「そして到頭やりきれなくなつた。」
「何が?」
「貴様とは考へることの立場が別なんだから余計なことを訊くな――今、清々としてゐるところなんだ、やりきれなくて止めたので――」
「……」周子は、ぽかんとしてゐた。
彼は、さう云つたものゝ、浅猿《あさま》しい自分の思索を観て、醜さに堪へられなかつた。たとへ周子の前にしろ、うつかり斯んな口を利いて、己が心の邪《よこし》まな片鱗を見透されはしなかつたらうか、などゝいふ気がして更に邪まな自己嫌悪に陥
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