清友亭は、彼には慣れた家だつた。地震で潰れたり焼けたりしない前の半年位の間、続けて来た日もあつたのだから、殆ど一晩おき位ひに此処へ来たのだつた、と云つても誇張にはなるまい。父親がお蝶といふ女と親しくなり、そして父親の事業の相談が忙しく東京などからお客が多かつたのだ。母が嫉妬深くて夜十二時近くなると、屹と彼を清友亭に差し向けた。母と彼と一処に乗り込んで、父の顔を赤くさせたことも度々あつた。
「旦那の百ヶ日は、もうあさつて[#「あさつて」に傍点]なんですつてね。早いこと……」
 女将は、何となく手持ぶさたらしく、窓に腰かけた彼を手をとるやうにして正座に落つかせた。
「よくあさつて[#「あさつて」に傍点]だなんて知つてるね。僕はおとゝひ迄そんなことを忘れてゐた。」
 いくら慣れてゐる清友亭だつたにしろ、彼は自分が主になつて然も独りで斯ういふ処に来たことはなかつたので、眼の据え処にさへ迷つた。彼は、食卓を前にして、痩躯を延して、かしこまつてゐた。
「忘れる人はありません。――それに昨日お宅から通知がありました。」
「何の通知?」
「御招待――」
「こゝに、はゝア! 阿母かしら?」
 問ひ
前へ 次へ
全53ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング