利いた心の働きを持つてゐる彼ではない。)けれど、父のそんな性質を好きがつたり、尊敬したりする程の孝行な悴ではなかつた。父が若少し続けようとすると、
「そんなことは、もう聞きたくもありません。」
母は、語尾に傍から見ると、実に異様な力を込めて云ひ放つた。……「どうせ親がろく[#「ろく」に傍点]でもないんだから、子供だつて……」
彼は、アツ[#「アツ」に傍点]と思つた。――ひとり自分はいゝ子になつて、具合よく母を瞞著してゐたつもりだつたら、やつぱり母にはこの俺の心根が見へ透いてゐたのか!
さうは気附いたものゝ浅猿しい彼は、憤ツとして口をとがらせた。父は、その彼の心の動きを悟つたらしく、寂しさうな苦笑を浮べて、貴様がこゝで阿母に逆ふのは浅はかの至りだ――といふ困惑の色を現した。
「帰ると仕ようかね。」父はさう云つて、冷くなつた盃をグツと飲みほした。
彼は、後架にたつた。袂で顔を圧へたお蝶が、廊下の、庭に面した薄暗い窓の隅に凝ツとたゞずんでゐた。
[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]
「僕がかうやつて、……」彼は、軽い冗談でも云つたつもりで、ひようきんに胸を張り出した。
「どうだらう? 似合ふかしら? 似合はないだらうな。修業をすればなれ[#「なれ」に傍点]るかね? だが何としても親父のやうに、事業にかこつけることが出来ないのは、弱つたなア!」
冗談にせよ、父親を引合ひに出したのを、女将は一寸あきれたらしかつた。彼は、自分が如何程武張つて、そんなことを云つたところで何の自分にそんな身柄のないことを知り抜いてゐるのだが、独りで斯ういふ処へ出入することが、自分にとつても不自然な気持を起させない位ひにしたかつたのだ。
「ハツハツハ……五十三で死んでしまつては親父も気の毒には気の毒だが、それもまア好いだらうさ、あと十年生きたところで僕が親父を嬉しがらせることがあるとは思へない。……尤もさういふ考へ方はあまり好くはないが――」変にすらすらと彼は口を切つたが、終りに近づくと愚図/\と口のうちで、ごまかしてしまつた。
「今でもトン子さんのことは、思つてゐらつしやるの?」
「あゝ思つてゐるね、大いに思つてゐるね。」
それ程でもなかつたが彼は、やけにはつきりした声を挙げた。だが、さういふと同時にふつと周子のことが浮んだ。結婚してもう四年になるか! わけもなくさう思つた。
「
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