馬上の春
牧野信一

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)緋縅《ひおどし》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)私達の|伊達好みの戯談好き《アストラカン》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)てれ[#「てれ」に傍点]て

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)うや/\しく
−−

     上

 私たちが、その村に住んでゐたころ――では、今年の正月は、いつものやうに朝から晩まで酒を飲んでは議論をしたり喧嘩をしたりしてゐても止め度がないから、
「今年はひとつ――」
 と、私達の|伊達好みの戯談好き《アストラカン》の村長が提言しました。「大いに趣向を変へて――馬を引け! 近郷の村々を訪れて、飲み歩かう。皆々思ひをこらして、思ひ思ひの仮装にこの身を固めて、馬上の騎士とはならう。」
「賛成だ!」
「輝やかしいぞ!」
「はや、魂が天に飛ぶ!」
 忽ち村長は斯様な花々しい賛同の叫びと宙に振られる拳の旗に包囲されました。
 この一文は、その出立の朝の、空は麗らかに晴れ渡つて、もうやがて間もなく桃の花でも開きさうな温い朝の、三方を蜜柑の樹に深々と覆はれた丘を屏風とした村の――私達一行の出発の光景です。
 私はどうも思はしい思案も浮ばなかつたので、普段でも着慣れてゐるアメリカ・インデイアンのトウテム模様を織出したガウンを羽織り、特に鳥の羽根を飾つた酋長用のモンクス・フード(とりかぶと)を翻して、水車小屋のドリアンに打ち乗つて、出発点と定められた村境ひの馬頭観音の前に駆けつけました。誰が、どんな姿で現れるか私は、それが楽しみでした。
「やあ、マキノ君か――どうも連中の来方が遅くつて心外だぞ。まさか、あれほどの賛同の意を表しておいて、いざとなつて、彼等は急にてれ[#「てれ」に傍点]てしまつたんぢやあるまいな?」
 石塔の傍にロシナンテの轡を従者にとらせてぬつと立つてゐる銀色の鎧を看た老騎士が不平さうに唸りました。見ると、やゝ気色ばんだ村長です。
「そんな御心配は御無用ですよ、村長!」
 私はうや/\しく朝の挨拶を述べながら騎士の傍に近づくと、まさしく本物と思はれた銀の鎧はボール紙の手製のものでしたが、その手ぎはの鮮やかさには心からの敬意を払ひました。村長は案の条ラ・マンチアの|工夫に富
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