で、Tを中心にして冗談を云ひながら堤に添つて歩いてゐると、後から、
「おーい、おーい!」
と声を限りに呼ぶ者があつた。
振返つて見ると、もう姿は見えぬほどの薄暗であつた。が、提灯が一つ高くさゝげられて、此方に向つて切《しき》りにゆら/\と振まはされてゐた。橋の欄干に凭つて提灯の近づくのを待つて見ると、水車小屋のRの馬車であつた。
「皆が町に来たといふのを聞いたので俺は、停車場の近くで一時間も待つてゐたんだよ。」
「市場の首尾は何うだつたの?」
大学生のHは、そんなことをRに訊ねた。
「大失敗だつた。――俺の顔色、好くないだらう。」
「いゝや、大変に勝れた顔色だぜ。」
「それは――それは、君達が、で道でも違つて先へ行つたのかと思つたから、大急ぎで馬を飛ばせて来たせゐだらう。あゝ、つまらない/\、折角働いても、斯んな態《ざま》ぢや何をする元気も出ないや。」
「R君、愚痴を云はないで元気を出したまへよ。此処に君の好きなブラツク・エンド・ホワイトが一本あるから栓を抜かう。食糧品屋の番頭が、主人に内緒で呉れたんだよ――皆馬車の上に立ちあがつて一杯|宛《づゝ》の興奮剤を飲んで、ともかく一刻も早くマメイドに引きあげよう。」
僕が斯んなことを云ひながら背中の袋を取り降ろしてゐると、また後から駆寄つて来る馬車があつた。御者は、野菜畑の小作人であるBであつた。
「あゝ俺は悲観した。この馬車に野菜を山と積んで市場へ行つたが、その売上金では、辛うじて一日の食費の他には煙草も一つ買へぬといふ仕末だ――ともかく興奮剤を一杯飲ませて呉れ。」
皆が馬車の上で、がや/\してゐると馬は手綱もとられずに、のろ/\と堤の上を歩きはじめてゐた。
「Dさん、居るのか?」
左手の畑の方を向いて誰やらが呼ぶと、番小屋の中から、
「お前達の帰りを此処で待つてゐるんだよ、」と、太い声の返事があつた。
「ウヰスキイがあるぞ――早く来ないか。」
Hが斯う叫ぶと、その番小屋の向ひ側にある納屋の扉《ドア》が開いて、
「俺も行くぞ――」といふ声がした。右手の川べりで釣糸を垂れてゐた者もあつたのか、そこからも、
「待つてゐました!」
などといふ声がかゝつた。
「日本酒の樽も一つあるぞ。」
Tが気勢をあげた。赤い灯が燭《とも》つてゐる納屋の裏手にある草葺屋根の障子がガラ/\と開くと、
「随分待たせやがつたな。」
「もう少し待たせられゝば泣き出すところだつたぞ。」
「それツ、突喚だ。」
などと口々に呼はりながら三人の男が跣足のまゝ一散に駆け寄つて来た。
馬車は、不思議な酒宴を載せて悠々と堤を進んでゐた。勿論皆が馬車に乗り切れるわけのものではない。馬車の轍に従つて、歩みを運びながら盃を持つて腕をさし伸してワイ/\と、打興じながら村を指して進んで行くのであつた。
「この分ぢや、村に着くと大事な樽が空になつてしまふかも知れないぞ――」
「何だつて、ケチ臭いことを云ふない。何処で飲んだつて、何うせ飲んでしまふ酒ぢやないか。そつちの袋には何が入つてゐるんだい御馳走を出せ。さかなを出せ。」
「この馬車に一番幌をかぶせて――行き処定めぬキヤラバンとしてしまつたら何んなものだい。」
「駄目だよ。ドリアン(馬)の奴は、ちやんと心得てゐて、打つちやつて置いたつてこの通り――あの悲しい村へ俺達を運んで行くぢやないか。」
「ハツハツハ……悲しい村か。――何を云つてやがるんだい。」
誰の声やら、誰の言葉やら一向定めもつかなかつた。遥か向ふの小山の上に月が昇つてゐた。峠の松の木が、はつきりと見えた。真実少しばかりの酒を載せた馬車の到着で、この賑はひ、この騒ぎ、この悦び――である。
「凱旋のやうだな……」
僕はいつの間にか陶然として、洋盃《コツプ》を持つたまゝそんなことを呟くと胸をひろげて山の上の月を眺めた。
「皆に気づかれないやうに、だん/\にスピードを速めないこと、メイちやん。」
「えゝ――。斯んな変な騒ぎのおつき合ひは御免ですものね。急に、パツと鞭をあてゝ駆け出したら、あの飲助連中が何んなに吃驚りするでせう。やつて見ませうか?」
細君とメイ子は、いつか御者台に並んで腰をかけてゐた。
「面白いかも知れないわね。でも、堤《どて》の間は危いから街道に出たら、突然やつて見ませうよ。」
二人がそんな悪だくみをしてゐるのが不図僕の耳に入つたが、僕は、この不思議な瞬時の感興をさまたげらるゝ惜しさを覚えて、今宵は何故かわが心、幻想涌きて限りなし――といふヨハンの歌をうたひながら手風琴を弾いた。それに伴れて、細君もメイ子もそして酒飲連も一勢に声をそろへて、月の歌をうたつて、面白気であつた。
街道にさしかゝる頃は、おそらく酒が尽きる時分であらうから、ドリアンが駆け出せば返つて都合が好いだらう――などと僕は
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