馬車の歌
牧野信一
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)称《よ》び慣れて
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一杯|宛《づゝ》の
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
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佗しい村住ひの僕等が、ある日、隣り町の食糧品店に急用が出来て、半日がかりで様々な切端詰つた用事を済せた後に、漸く村を指して引きあげることになつた夕暮時の途すがらであつた。同行は、いつものやうに僕等と一緒に生活を共にしてゐる大学生のHとTと僕の細君と、そして村にあるたつた一軒の僕等がマメイドと称《よ》び慣れてゐる居酒屋の娘であるメイ子等であつた。
僕等は各自に食糧品で充たされたリユツク・サツクを背にしてゐた。そして、果物の袋をぶらさげてゐる者もあつた。野菜の束を抱へてゐる者もあつた。HとTは太いステツキにギヤソリンの小鑵をとほして二人で両端をになつてゐた。――登山隊にしては、いでたちがあまりにだらしがない、奇妙な道連れであつた。
「市場帰りの馬車が、もう来る時分なんだがな……」
「さう云へば、水車小屋の親父も――あの遊び好きの親父も、いよ/\奥方の鞭が酷《きび》しくなつて四五日前からさかんに水車を廻しはじめてゐたと思つたら、今朝、とても威気揚々たる姿で、馬車に荷物を満載して町へ出掛けて行つたよ――おい、今夜は俺がお大尽になつて威張りたいから俺が帰るのをマメイドで、飯を喰はずに待つてゐて呉れよ! なんて高言しながら――」
「彼の大尽風がマメイドまで保てば、まことにお目出度い話だが――もう間もなく、空馬車に載つかつて、ぼんやり木兎のやうな眼をして帰つて来るだらうよ。酷え目に遇つた/\! などと呟きながら――」
「親父は何うでも好いから、あの空馬車が恋しいよ。あれなら俺達五人がいち時に楽々と乗り込めるからね。」
僕等は勝手なことを云ひながら町端れの松並木の堤で休息してゐた。
「おい/\、見失つてはいけないぞ、大分薄暗くなつて来たからな。」
「大丈夫だとも――此堤の上のお関所に我ん張つてゐれば、犬ころだつて素通りはさせやしないから……」
すると、向ふ側の、片側通りになつてゐる街の雑貨屋で何か用足しをしてゐた細君の傍にゐるメイ子が、
「ちよつと来て下さいな。」
と頓興な声を挙げて僕達をさしまねいた。その音声が何となく、たゞならぬ様子だつたから僕等は荷物を其処に置き放しにして置いて、
「何だ、何だ?」
「何うしたのだ?」
「悪漢でも現れたのか?」
などと口々に叫びながら駆け寄つた。
雑貨商の隣りは、一軒の見すぼらしい古物商であつた。――メイ子は勢急に僕の腕をとつて、そこの店の前に誘ひ、
「あれ、あなたのぢやない?」
と、片隅にある皮の袋を指差した。「あなたのラツパに違ひないわ。」
「さうだ。俺のホルンらしいな。」
私は、つまらなささうに呟いた。十年も僕が使ひ慣れた真鍮のラツパ・ホルンである。僕は、別段何の愛着も感じなかつた。が、つひ此間まで自分の所有品であつたものが、商店の店先にそんな風に転げてゐるのを見ると、つまらぬ滑稽感を覚ゆる――などと思つた。
「あの、ちよつと――お留守ですか?」
メイ子が奥に向つて呼んだ。年寄つた店の主が現れた。そして私の顔を見ると、明るい微笑を浮べて、此方が未だ何も云ひ出さないうちに、ホルンの、片端にS・Mといふローマ字が誌してある皮袋を指差して、
「これですか?」
と云つて、眼くばせをしながら何が可笑しいのか笑ひを堪へてゐるやうな表情をしてゐた。――その時、僕等の後ろから覗き込んでゐたTが、
「あツ――いけねえ/\。」
と呟きながら向ふ側へ逃げて行つた。
「未だ、ありますよ――あんなのが……」
主が棚を指差したので、見ると、其処には僕等の大きな手風琴が、「金三円也」といふ正札を貼られて、載せてあつた。背中から十文字に皮のバンドで吊してから弾奏するといふやうな大変時代おくれのハンド・オルガンである。
「二つとも、借りてつても好い――をぢさん。」
「どうせ、売れやしないでせう。今度お金のあつた時に直ぐに払ふわ。」
メイ子と細君は、僕が、止めた方が好いだらうと遠慮したにも関はらず、主に向つて虫の好い買戻しの交渉をはじめた。そして直ぐに交渉は、まとまつた。
楽器を携へた僕等がTに追ひついて、
「未だ馬車は来ないの、もう通つてしまつたんぢやないか知ら?」
と不安心の問を浴せると、Tはそれには答へずに赤い顔をしながら弁解した。
「正札を貼りつけるなんて、何といふ皮肉な親爺だらう。失敬な――。直ぐに取りに来るからといふ約束で僕は、預けて置いたのに――」
「それでTさんは、町のカフエーに遊びに行つたの?」と細君も意地悪を云つた。
皆
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