「もう少し待たせられゝば泣き出すところだつたぞ。」
「それツ、突喚だ。」
 などと口々に呼はりながら三人の男が跣足のまゝ一散に駆け寄つて来た。
 馬車は、不思議な酒宴を載せて悠々と堤を進んでゐた。勿論皆が馬車に乗り切れるわけのものではない。馬車の轍に従つて、歩みを運びながら盃を持つて腕をさし伸してワイ/\と、打興じながら村を指して進んで行くのであつた。
「この分ぢや、村に着くと大事な樽が空になつてしまふかも知れないぞ――」
「何だつて、ケチ臭いことを云ふない。何処で飲んだつて、何うせ飲んでしまふ酒ぢやないか。そつちの袋には何が入つてゐるんだい御馳走を出せ。さかなを出せ。」
「この馬車に一番幌をかぶせて――行き処定めぬキヤラバンとしてしまつたら何んなものだい。」
「駄目だよ。ドリアン(馬)の奴は、ちやんと心得てゐて、打つちやつて置いたつてこの通り――あの悲しい村へ俺達を運んで行くぢやないか。」
「ハツハツハ……悲しい村か。――何を云つてやがるんだい。」
 誰の声やら、誰の言葉やら一向定めもつかなかつた。遥か向ふの小山の上に月が昇つてゐた。峠の松の木が、はつきりと見えた。真実少しばかりの酒を載せた馬車の到着で、この賑はひ、この騒ぎ、この悦び――である。
「凱旋のやうだな……」
 僕はいつの間にか陶然として、洋盃《コツプ》を持つたまゝそんなことを呟くと胸をひろげて山の上の月を眺めた。
「皆に気づかれないやうに、だん/\にスピードを速めないこと、メイちやん。」
「えゝ――。斯んな変な騒ぎのおつき合ひは御免ですものね。急に、パツと鞭をあてゝ駆け出したら、あの飲助連中が何んなに吃驚りするでせう。やつて見ませうか?」
 細君とメイ子は、いつか御者台に並んで腰をかけてゐた。
「面白いかも知れないわね。でも、堤《どて》の間は危いから街道に出たら、突然やつて見ませうよ。」
 二人がそんな悪だくみをしてゐるのが不図僕の耳に入つたが、僕は、この不思議な瞬時の感興をさまたげらるゝ惜しさを覚えて、今宵は何故かわが心、幻想涌きて限りなし――といふヨハンの歌をうたひながら手風琴を弾いた。それに伴れて、細君もメイ子もそして酒飲連も一勢に声をそろへて、月の歌をうたつて、面白気であつた。
 街道にさしかゝる頃は、おそらく酒が尽きる時分であらうから、ドリアンが駆け出せば返つて都合が好いだらう――などと僕は
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