て犯し得よう筈もないのである。けれど、嗚呼戯《あゝ》――と私は吐息を衝きながら、何と夥しい不孝を感じながらも、その単に飽くまでも生真面目さうに一方ばかりを睨んだまん丸い眼玉、陰影の無い武張つた大面、そして稍ともすれば頤をぐつと引いて大層らしい思案の腕組に陶然たる有様などに接するにつけ、私はその禿げあがつた頭の天辺に赤い缶型の帽子を想像せずには居られなかつた。
「先づ△△から××まで私線鉄道を敷いて、△△山の赤土を埋立地へ運ぶとなれば……」
と彼は虚空に眼を据えた。――彼への訪問者といふのが、どれもこれも、一見すると狸のやうに落着いて葉巻などを喫してゐるが、愛嬌笑ひの声も、真剣味を露はにした賛同の握手も、真面目気であればあるほど空々しく品が悪かつた。山林技師であるN《ナタリー》の父親だけが、おそらく級友でもあつたかのやうに、へだてのない容子が一見してあきらかであり、
「何ウモ君ノマハリニ集ル紳士連ハ、信用成シ難イネ。」
などゝ云つても、彼は返つて何か魂胆あり気にかぶりを振つて一向とり合はなかつた。
私たちにしろ、もう遥かの山のむかふからはトンネル工事の爆破の音なども響きはぢめたし、竹藪であつたり、沼地であつたりした場所が繁華なステーシヨンの広場になるといふからには、多くの彼の事業に関して、決して失敗などは予期しもしなかつたのであるが、年寄や婦子供のみの古めかしい屋根の下に行灯や雪洞の光りのまはりで寂しく蟋蟀のやうな日夕を送り迎へてゐた者共にとつては、急に夜更けまでも電話のベルが鳴つたり、乗つたこともなかつた自動車が出入したりする華々しさに、何か漠然として信じ難いばつ[#「ばつ」に傍点]の悪さを誘はれるのであつた。
「どうせ碌なことがある気遣ひはないさ。それあ停車場が出来るといふからには、賑やかにはなるだらうけれど、そんな先の事許り当にして前祝ひばかりしてゐたひには、屹度また後では鬱《ふさ》がなければならないやうな始末になるばかりさ。」
阿母がそんなに云ふと、阿父は震えて口を尖らせた。
熱を挙げてゐる傍から、冷言を浴せられては堪らぬだらうと寧ろ私は、阿父の心懐に加担した。――が、そんな当面のことには私などは要もなかつたし、家庭の雰囲気も何うやら息苦しくなつたので、大学生になつて多少の憂鬱も知り始めた私は、休暇で帰省しても故家には落つかず、大概熱海の山荘へ赴いて本を読んだり、小説体の如くに会話などを挿入する日記などを書いてゐた。ハネ釣籠の井戸があり梅や柿木の繁つてゐた草葺屋根の家が、アメリカ風の至極簡粗なカツテーヂに改装されて、阿父の外国友達の家族が料理人《コツク》などを伴れて訪れた。阿父は、それらの友達と捕鯨船へ乗り込んで遠洋航海へ赴いたり、ボルネオ地方へ鰐狩りへ行つたりしたが、
「これ位ひの道楽は、余興のようなものさ。」
などゝ云ひながら、三月か半年で引き返すと、相変らず折鞄を抱へて、不思議とあんな深刻《グルウミイ》な眼を輝かせながら車を飛してゐた。おそらく獅子の遠吠えが聞えたといふジヤングルに天幕の夢を結んでも、大鯨を獲り逃して残恨の胸を叩きながら酒場に酔ひ潰れても、おゝ、あれらの故山の、あれらの山々がそうしてゐる間にも刻々と切り崩づされるに随つて金貨を積んだ橇の音が次第々々に近づいて来てゐるのだといふ素晴しい夢に誘はれてゐたのである。私などにしろ、何も知らぬ青少年であつたが、漠然とした幸福のようなものを感じないでもなかつたが、稍ともすると昔描き慣れて、今だつて筆を執りさへすれば大概の姿なら即座に描きこなせるフリガンの活動画が歴起として眼の前にチラつくのであつた。フリガンの表情は、歓喜に炎えた時でも、悲境のドン底に墜落した時でも、或ひは稀にいさゝかの成功に反身になつた場合でも、常住不断に変化を知らぬ丸い眼と稍突り気味の口吻と、そして缶型の赤い帽子だけは決して落とさぬ姿勢なので、模写の手際も別段六ヶしいわけではなかつたのだ。私は、思はずもそんな連想を劃てる自分を秘かにウソ寒く慨嘆しながら、幾組となくつくつた連続画の憶ひ出を、どうやら益々詳細に吾阿父の上に対照せずには居られなかつた。
「あはゝゝゝ、あはゝゝゝ、お前の画はほんとうに巧いよ、さて、これから缶ちやんがどうなるのか、あたしは来週が楽しみでならない。あはゝゝゝゝ。」
と、私の幻灯を観ながら、そのまゝ醒めぬ眠りに陥入つてしまつた慈はしき婆さんの笑ひ声が、あらためて私の耳の底に蘇ると、何やら私はあれらの無稽至極と思つてゐた人生諷刺の微風《そよかぜ》が眼のあたりに吹き出したとなど思ふのであつた。阿父も表情の乏しい貌だつた。何故か笑ひ声は思ひ出しても、笑ひ顔は想像成し難かつた。――私は、あれこれと対照すればするほど、あれらの滑稽なる諷刺画がそのまゝ吾が生活の眼前に展開
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