するかの如き、云はゞ恐怖症に襲はれさうであつた。私は、次第に憂鬱であつた。私は、滑稽を認めて、笑ひを知らぬ悲惨に堕ちた。どうやら自分の表情も、頭の缶型を落さぬ程度の奇妙に生真面目気なる木石に化したかのやうな思ひである、単なる真面目気なる表情の奇怪至極さは、一種の壮厳なる、然して永遠に模糊たる滑稽美に満ちたるものと考へざるを得なかつた――私は、肉親に対する自己の観照眼に関して、余程不道徳的なる苦悩にさいなまれたと見えて、そんな風に、厭に勿体振つた感想を手帖に記してゐた。

     四

 土曜日の夕刻には、きまつて横浜からN《ナタリー》が訪れた。彼女は私に従つて、日本語の練習を念願としてゐた。
「ボクはもうヨコハマからなら、いつでもひとりで大丈夫になつた。」
 彼女は、そんな程度の日本語をつかつた。レデイの一人称は、アタシとかワタクシとかと云はなければならぬのだと、屡々私は訂正もしたのであつたが、彼女には一向その規約が腑におちず、また私もそれほど熱心な教師ではなく自分勝手な喋舌り方をする方が多かつたから、彼女はつい私を真似て「ボク」とか「オレ」とかと云つた。私は、やがて、眼の碧い、そして「夕映えを染めた如き」などゝ得意になつてお世辞を云つた飴色の豊満な巻髪をたくわへた十八の娘が、何も知らずに野卑な方言などを使ふのを、内心妙に悦んだ。私は間もなく一切の男女の差別を無視して、第二人称は「アナタ」などゝいふよりは寧ろ「オメエ」と呼んだ方が粋《いき》であり、どうせ日本語を学ぶ位ひならば標準語は何処でゞも習へるのだから、「ワガハイ」を選んだのを幸ひ得難き通俗語を知つた方が趣味深いに違ひあるまい――などゝ、実は標準語と来たら自分が怪しかつたので、ごまかしたのでもあつた。私は東京の大学生にはなつてゐたが、アクの強い方言の田舎青年だつた。
 彼女は父親のオフイスでタイプライターを叩いてゐたが、特に土曜日に限つて、日本語の練習といふ「お稽古」のために、十時に仕舞ひ、午前《ひるまえ》の汽車に乗つた。旧東海道線であつたから国府津駅で箱根行の電車に乗り換へ、四十分も揺られた後に小田原で更に熱海行の「軽便」に移り、待合時間を別にして、これが三時間あまりかゝつた。それ故、熱海に着くのは、冬だと、もうとつぷりと暮れてゐた。――「軽便」の到着は三十分位ひのあとさきは珍らしくもないので、私は明るいう
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