は缶チヤンと称び換へて、聴手を笑はせた。その赤い筒型のシヤツポが恰度缶詰の缶のやうだつたからである。私は、その画を早速と例の硝子板に模写して、婆さんの枕元に写し出して、おどけた声色などをつかつた。
「えゝ、こゝに御覧にいれます今週の番組は(缶チヤンと狐)の巻であります。狐の襟巻がはやり出したときいた缶チヤンは、早速一儲けしようと膝を打つて、此処に養狐事業を計画いたしました。例に依つて缶チヤンが如何なる失敗をいたしますかは、次々の幻灯に随つてよろしく御笑覧のほどを……」
 他所の人がゐないと仲々能弁な私が、幕の後ろで斯んな説明をはぢめると、婆さんと阿母はもう腹を抱えて笑ひ出した。――或る晩祖母は、あはゝ、あはゝ――と笑つてゐるので、私は例の如く益々得意になつて次々なるウツシ絵を差し換えてゐると、不図阿母が異様な叫び声で私の名を呼んだ。
 祖母は、あゝ、あゝ、あゝ……と未だ笑つてゐるのに! と私は不思議がりながら、傍らの雪洞を燭して枕元に駆け寄つて見ると、あゝ――とわらつた表情のまゝ、息が絶えてゐた。
「あゝツ、お母さん!」
 と母が呼んだ。
「おばあちやん/\、どうしたのよう。」
 と私も精一杯の声で泣き、その胸にとり縋つた。
「わしや、もう一遍熱海へ行きたいんだが、あのケイベンの煙突をおもふと、直ぐにむか/\して来る。せめてお前の描いた絵でも見て慣れたら、しつかりするかも知れないから写してお呉れよ。」
 祖母は、幻灯会を終へようとすると屹度斯ういふので、その時も「フリガンと狐」の連続ものを終つた後で、傑作の汽関車を写し出さうとした途端だつた。電灯がついて明るくなつた襖の境に垂れさがつた白けたスクリーンの上には、走り出さうとした汽缶車の先端がぼんやりと写り放しになつてゐた。

     三

 熱海線が国府津駅から延長して真鶴まで達し、小田原は町を挙げて山車を繰り出し、連日の祝賀に酔ひ、また憐れなケイベンは風琴の蛇腹のやうに真鶴・熱海間と縮まつたのは大正十一年の暮であるが、いよ/\ホントウの汽車が敷けるといふ噂が立つて小田原や真鶴や熱海の土地の価格がにわかに高まつたのは、それより更に十年ちかくも前からであつた。祖母の訃を受けて帰国した私の父は、毎日退屈をかこつて、二年三年生の私ばかりを相手に鉄砲打に出かけたり、ポーカーを教へたりして、何となく成人《おとな》の友達扱ひで
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