蔑すべきものゝやうに思ひながらも、慌てゝ鞄をさげて後から続いた。
「出つけないから、ほんとに困る――」
「そんなことはない。」
「外へ出ると、ワザと云ふことをきかないやうに見える。」
「多少、さうかも知れないな。外ではお前が、叱らないから……」と、自分が云ふと妻は、厭な笑ひを浮べた。自分も。
 吾々は、人気の少ない廊下に、二時間も待ち合せる者ではない。そわ/\した心でたゝずんでゐた。
 ふと気づいて見ると児は、自ら意識する武張つた大股で、直ぐ前の飲食店へつかつかと入つて行くのであつた。一寸した時の彼の癖で、力んで夫々の脚を踏むのである。――いつも自家へ帰る時の自分の心は、どこかあれに似たわざとらしさがある――などゝ自分は、不意と思つた。
 さつき待合室に居る時も、掛けるところがなかつたので吾々は人々の間に立つてゐたのであるが彼は、腰掛けの周囲を競馬のやうに駈け廻つたり、入口を廊下に出たり入つたりしてゐたのだ。彼は、そこの飲食店も客が一杯腰掛けてゐるので前と同じつもりで入つて行つたに違ひない。――吾々は、舌を鳴して追ひかけて行つた。
 広い食堂だが殆ど此処も空席がない位ひに混んでゐた。吾々は、思はず入口のところに突つ立つた。
 テーブルよりも丈が低いと見えて、児の姿は、自分が首を探照灯のやうにして彼方此方に視線を放つたが、頭も見えなかつた。
 児の名前を呼ばうとしたが出なかつた。食堂中を見回るのは大変だと思つた。――自分はカーツとした。こういふ処にも吾々は入りつけないので、たゞ入るだけでも多少堅くなるのであつた。
 横浜を過ぎる頃に児は眠つた。
 これからは成るべく気軽に何処へでも出かけよう――九日の晩に、お前達もつれてヲダハラをたつとしようかな――トンネルが随分沢山あるぜえ! 熱海の道よりは少し陰気だけれど……山北に行くと機関車を後先きにくつつけたと思つた、たしか? ――などゝいふことを自分は話すと、妻は好奇の眼を視張つて是非同行したいと述べた。
 彼女は、東京とヲダハラの往復にはあきてゐた。
「×さんがゐる。」
 改札口を出ると妻は、そこに立つてゐる自働車の運転手を指差した。……大地震で彼等の合宿所が潰れた時、恰度その町に居合せた吾々の家は倒れなかつたので、その大半を×さん達に提供したことがある。此方こそ賑かになつて、あの不安から救はれた。×さんは、それ以来知り合ひの青年運転手である。
 彼は、吾々を乗せて深夜のバラツク街をのろのろと走つた。吾々は、道々、自分達が何故去年の夏以来来なかつたか! といふことに就いて話した。×さんは、話のために道をワザと迂回した。そして町はずれの小バラツクの前で吾々を降ろしたが、妻が賃金の紙包みを彼のポケツトにおし込むやうにしても彼は、ひたすら拒んで、アツハツハ! と笑ひながら逆もどりの出来ない程な道なので、その儘真つ直ぐに走つて行つた。
 吾々は、隙間から灯りが洩れてゐるバラツクの門をドンドン叩いた。――どなたですか? と誰何する声がしたが、聞えぬ振りをして自分はひたすら叩いた。
 まさか忘れはしまいとは思つてゐたが、案外お前のことだから? と思つて随分苦労した。――などゝ母は、好意を含めて此方を呑気者に扱つた。お前のことだから――といふ風に云はれるのは、自分は親からでも擽つたい。それに、返事を書くのが厄介だから成るべく手紙を寄して呉れるな、などと勝手なことを云ふので、が、まア、遠慮してゐたのだが、あしたになつたら、電報を打つゝもりだつた……。
「でも、まあ好かつた。」と、母は、二度もそんなことを云つて笑つた。吾々は、努めてゞはなしに、笑ふやうなことばかりを多く話した。
「前の日に法事をして、それから九日にお墓参りをするんですね、ちやんと知つてるさ、それを×子てえばさあ、九日にいちどきに済せるんだなんて……強情!」
「それは、昔から――」
「いゝえ、あたしのお父さんの国ではさうだつて云つたゞけなのよ、お母さん。」
「手紙だけは、昨ふ方々に出しておいたよ、お前の名で――あとのことは、お前が帰つて来てから相談しようと思つてゐたんだが、もう今日となつてはそんなことも云つて居られないんで、大体、決めたが――」
「それは、どうも――ハ……。それだあからよう、私あ、もう、どうしても今日のうちにやあ帰るべえと思つてねえよう……」
「汽車に乗り遅れた時、何さ!」
 吾々は、他合もないことを飽きずに語り合つて、夜が白々とする頃寝に就いた。

 三月七日
 自分は、午近くに起きた。ふつと眼が醒めた時には、何時もの東京の部屋かと思つた。居るだけで好いのだ、その他には自分には用はないので、母から少しばかり金を貰つて街に出かけて見た。
 好い天気である。
 東京の家で、苛々しながら机に向つてゐたことを思ふと何だか可笑し
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