これで行くと家に着くのは夜中の十二時頃にもなるだらうから、出直さうか、明日に? そして今晩は街の方へ見物に行つて見ようか? と、妻を顧みて相談をかけると彼女は、神経的に首を振つた。拒んだのだ。
「今日、行き損ふと大変よ。」
「だけど、明日だつて……」
 汽車に乗るのは殆ど半年振りだつた。乗つたと云つても、この前もやつぱりヲダハラまでゝある。東京から。
 何も厭なわけはないのだが、あの△△線を曲らずに真つ直ぐ急行列車で通り過ぎたら、どうだらう? 降りたくなるだらうか?
「それあ降りたくなるだらう。」と思つた。思想的にもそんな感傷に病らはされてゐる気もする。
「飯を食ふには時間が足りないやうな気もするし……」
「二時間もあるのに!」
「いや、何だか厭なやうな……」
「ぢやあ二時間も斯うやつて立つてゐるの?」
「だから、よう……」
「帰つてからも飲むつもりなの?」妻は酒のことを云つた。一寸と不安な眼つきで。
「どうしてそんな風に、直ぐにそんなことを訊くのかなあ!」
「…………」
「それにしても二時間では半端だな? 何か斯う?」
「あそこが丸ビルか知ら?」
「一層、もつと遠い旅だと反つて都合が好いんだらうがね……この前の時に出かければ好かつたんだが……」
「知らないわ。」
 そんなこと云ひ合ひながら愚図/\してゐると、父親の愚図な性質をはやのみ込んでゐるかのやうな五才の児が、
「おべんとうを食ふだあ! おべんとうを食ふだあ!」と、日々駅夫の呼び声を真似て、呼び慣れてゐるヒナリ声でわめきたてながら靴先きをもつてポンポンと母親の脚のあたりを蹴り飛ばした。家庭でならそれ位ひのことは平気なのに彼女は、妙なシナをつくつてオホヽヽと笑つた。そして、あかくなつた。自分も稍、顔のあかくなる思ひに打たれて、
「馬鹿!」と、よその眼を気にするやうな少し気取つた様子でたしなめた。
「お前の方が、よつぽど馬鹿だよう。」児は、頤をつき出して憎々をした。この頃では彼は、往々近所の友達と喧嘩をするのであつた。自分は、屡々それを見うけたが一度もたしなめた験しはなかつた。それに吾々夫婦は往々野蛮な口喧嘩をした。彼女は、口惜しさのあまり自分に向つて、
「お前の方がよつぽど馬鹿だよう。」と、噛み殺すやうな憾みをのべたことがある。
 妻は、児を抱きあげて待合室を飛び出した。そんな妻の動作を自分は、不自然な軽
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