け、中将湯に寄つて皆なで「中将湯」を喫まう、男だつて差支へないと云はれて、私は紅茶々碗ですゝめられる薬湯を見たりして間もなく二人を撒いた。私は、向ひ側の馬賊の縄張りに踏み込むために、何だかうら寒い感の夜店通りを素通りしてゐる時、不図傍の露店で、非常な能弁[#「能弁」に傍点]を弄して往く人の脚を止めてゐるのがあつたので覗いて見ると達磨が梯子を転落する玩具だつた。私は、オヤと思つた、仔細に見聞して見ると、案の条これは私の小田原の知人である内田銀三君が、震災後の没落を回復する念願から三年間といふもの好きな酒を神に断ち、全く嘗胆の想ひで発明した玩具である。私はその頃銀三氏の近くに住んだ日があつたのだが、この発明品が外国輸出となり、それまでは禅堂のやうに静寂であつた堀立小屋がモーターの音凄じい作業場と変り、夜毎/\祝盃の歓声が挙るのを耳にした。踊る、喚く、立廻る、万歳/\の騒ぎに圧倒された。――露店の弁士の言葉に依ると、今ドイツに留学してゐる物理学の泰斗内田博士の発明になる――と云つてゐたが彼は幼少からの木工職で、大酒の博士だ。そして今度始めてこの日本橋に輸入された由であるが、売行は速かではないかのやうであつた。主にドイツに行くのだ。
テル子が手持無沙汰にとりあげた三味線の爪弾きを聞きながら私は、「達磨の梯子降り」を繰り反し繰り反し弄んでゐた。いろ/\な署名やメモを誌したあのゲーテの手帳を昨夜紛失してしまつて私は洞ろな心地であつた。だが時々、薄曇のした空を窓から見あげて徒然の絃器の音などを聞いてゐると遊楽の巷で遊び疲れたかのやうな陶酔を覚えた。
八重洲口があいてから気のせいなんだが汽笛の音が、とても耳近く聞こえるやうな気がしてならない――などとテル子が呟いだ。
底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「時事新報(夕刊)」時事新報社
1931(昭和6)年2月21日〜3月1日
初出:「時事新報(夕刊)」時事新報社
1931(昭和6)年2月21日〜3月1日
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年1月17日作成
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