街の謂であるらしかつた。私は、断髪洋装の細君の思惑を気遣つて、激しく辞退の首を振り、
「日米のダンス・ホールへ行く約束だつたね。」
と云つた。実地踏査と称して毎日出歩いてゐながら、おでんやの段の周囲にばかりうろついてゐたことが顧みられた。で今度は私が藤田氏の腕を囚へて無理矢理に立ち上り、私は物々しい口調で、河岸のすし屋が、いらつしやい/\と呼んで呼び込む変な事になつてしまつたとか、それにしても、これらの風景の真中にあるキリンの橋に明治四十四年三月と残つてゐるのは感慨無量ではないか――などと独白しながら、幾分もう春めいた夜気の大通りに出た。細君はテル子夫妻の案内で、今宵はぢめて中華亭の金ぷらを知つた――などと私にさゝやいだ。藤田氏は途中で巧みに逃げてしまつた。
八
いつもなら夫と伴れ立つて下谷の店に出かけるテル子であつたが、もう一日休む――と云つた。テル子の家は、呉服町の、とある一間幅の露路にある小さな二階家である。私達はこの二階に五日も逗留してしまつた。
「斯んなところに住んでゐながら、デパートに歯医者があることやら何とかゴルフが出来たことやら、あべこべに教つたりして……」
テル子がそんなことを云つて嗤つたので私は得意気になつて、
「テルちやんも、もつとダンスを習つたら何うなの。僕は日米しか知らないけれど彼処の昼間を知つてゐる?」などと水を向けると、
「藤田さん――でしたわね、昨夜の人? 途中で逃げちやつたわね。」と話頭を転じた。彼女は何時でも私が幾分でも得意気な顔をすると相手にしないのが習慣である。
「昼間の切符は半額で十枚一円だよ、レコードで。練習は昼間が好いよ。」
「そんな暇なんてないよ。槙町の綺麗な人なんて来るでせう。」
二階の壁に私が学生の時分に描いた「三味線を抱へてゐるテル子」のスケツチ板が何うして残つたものか古びたまゝ懸つてゐた。あれはテル子が二十歳位の時であつたか? などと私が細君に説明すると感心して眺めた後に、
「聞かしてよ。」と望んだ。
「本郷座に出かけて(日本橋)の芝居を観たのはあの時分だつたね。花柳のお千世にお前が逆《のぼ》せて、困つたことがあつたね。」
「勘弁してよ、そんな話……」
テル子は顔を赤くして、非常に含羞んだ。
八重洲通りに去年の秋頃から失業者のための夜店が並び出た。二三日前の晩に私はこの三人で散歩に出か
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