「それではね――」
堀口が疾る胸を強いて圧し鎮めるかのやうな落着いた見得を切つて口を開いた。「私達の二頭とそつちの三頭とを合併して、三人の騎手を順々に乗せて、今、三回に分けたレースを行つた上で、騎手の争奪に埒を明けることにしようぢやないか。」
「感情上の仲違ひも、それで、はつきりと結末がつくだらう。」
と太一郎は何か不平さうに呟いた。
「好からう。」
武一と滝本が同時に答へた。
「ローラさん――事件が、何となくお伽噺めいてゐる見たいだけれど、不安を感ずる必要はありませんよ。」
ローラが、ぼんやりと堀口達の顔を見守つてゐるのに武一が気づいて、
「全々遊戯のつもりでゐれば好いんだから――」
などゝ気を配ると、ローラは上着を脱ぎ棄てながら、
「あたし達の町のロメリア祭の時にも恰度それと似た風習があつて、それは馬ではなくつて、娘達が驢馬に乗つて競走をする――あたしも幾度か、その選手に選ばれて出場した経験があるから、勝てる自信だつてある!」
と勇み立つてゐた。「それにしても、好くも似た風習が此処にもあると思つて、先程《さつき》から感心してゐたところなのよ。」
「都では聞いたこともないが、これは寧ろ最も近代性を帯びたスポーツぢやないか……」
竹下は有頂天になつて、
「堀口さん、賭けをしようぢやありませんか、――ね、武一、此方は例の土蔵の鍵を提供しようぜ。」
などゝ、まことしやかに云ひ出すと、堀口は瞬間ギヨツとして、
「土蔵《くら》の鍵はあるんですか?」
と問ひ返した。
「ありますよ、ちやんと僕が保管してゐますよ。」
滝本は皮肉を込めて答へた。――「太一郎君は塚本の借金証書を賭けたら何うかね。」
「ロメリアの競技の時も、やつぱり賭けが行はれます。」
此方は冗談半分だつたところにローラが生真面目な註をさしはさんだので、堀口と太一郎は赤くなつて、
「ぢや僕等は、この二頭の馬を賭けるとしよう。」
「負けたら、また買つて来るだけだ。」
と堀口が弱音を吹いたが、塚本の話と、土蔵の鍵のことは紛《ごま》かしてしまつた。鍵の存在の有無に関しては、信用してゐないらしく、此方側の提供物を追求して来たので、滝本は今度こそは真面目になつて、厩の横に避けて円陣をつくつた。
「この地方では現在でも物々交換の習慣が残つてゐるのか知ら?」
ローラは滝本に、そんな類ひの質問ばかり浴せるので、少々煩さゝを覚へて、
「さうだ――この地方はアメリカならば、さしづめ西部地方に相当するのだから……」
「百合さんの家は、酋長の家柄なんだらうか?」
「まあ、待つて呉れ――」
彼は苦笑して、武一と竹下に向つて、
「騎手を提供すると云つたならば、余り野蛮過ぎるかしら?」
と相談すると二人は言下に否定して、
「折角八重さんを奪ひ返したばかりのところぢやないか。」
「そんなことを云つたら、奴等は無気になつて――ほんとうに娘達を奪ひかねないからな。」
と慄然とした。
そして、やはり、土蔵の鍵と一決した。――三人は、目星しい物品は大方これまでも生活のために売り尽してゐるガランとした蔵の中を同時に思ひ浮べた。
「剥製の標本類だけだね。」
武一が面白さうに呟いだ。
――然し彼等の相談が一決して、再び競技場に来て見ると、堀口と太一郎の姿は何処にも見あたらなかつた。――一同は、思はず顔を見合せて得体の知れぬ心地に打たれてゐると、八重が、
「あれ/\、彼処に!」
と叫んで、背後の芝生に覆はれてゐる明るい丘を指さすので、一勢に見あげると、馬を連ねた二人が烈しい勢ひでジクザクの小径を駆け昇つてゐた。その姿が、黄味《きばみ》の強い絨毯に似た芝生に影を吸ひとられて、黒く、シルエツトのやうに扁平になつて忙《せは》しく動きながら間もなく丘の頂きに達すると、青空を背景にして、此方を振り返つてゐた。声はとゞかなかつたが二人はそろつて片手を高く空に挙げると、何か口々に叫んだらしかつた。そして、見る間に丘の向ひ側に姿を没した。
百合子とローラと八重は、シヤツの腕まくりをして馬に乗ると、戯れらしくそろつてスタートを切つた。ゆるく駆けたり、急にスピードを出したり、さうかと思ふと曲馬の真似でもして遊ばうと話し合つたらしくピヨンピヨンと鞍から飛び降りて、駆ける馬を追つて横乗りに飛び乗つたり――夢中の競走をはぢめたりして、いとも自由に夫々の馬をあしらひながら止め度もなく嬉々として、小さな円形の馬場をはね廻つてゐた。
三人の男は、丘の中腹に段々となつてゐるスタンドで横隊に肩を組んで並んだまゝ、群像のやうになつて凝つと娘達の遊戯を視詰めてゐた。――水々しい光りが、擂鉢型の丘にとり巻かれた盆地の競場場に八方から降りそゝぐ滝のやうに集中して、キラキラと渦を巻いてゐる上に、その水煙りに似た陽《ひか》りを蹴散らして魚のやうに飛び回つてゐるので、何れが誰れやら男達の眼には一向区別もつかなかつた。いつか村井も其処に現れて滝本の隣りに凭りかゝつてゐたが、誰もそれに気づかなかつたのか、それとも綺麗な風景に見惚れてゐるためか、飽くまでも無言のまゝ、夢見るやうな眼をそろへて光りの渦巻きを見降してゐた。
――――――――――
これが「南風譜」――(田園篇)の終局の場面である。
間もなく村井の「南方の騎士」が脱稿され、竹下の新たに取りかゝつた「馬と娘」と題する五十号大の製作が完成して、翻訳の仕事を持つた滝本と、新しい就職口を求める森武一と、そして八重とローラと百合子と――秋の東京へ、予定の通り出発して、理想の共和生活にとりかゝつたといふこと、竹下の「馬と娘」がシーズンの人気を一身に集めたといふ愉快なエピローグを附け加へて置かう。
底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「婦人サロン」文藝春秋社
1931(昭和6)年5月〜10月
初出:「婦人サロン」文藝春秋社
1931(昭和6)年5月〜10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年1月17日作成
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