まらない! と思つた。
滝本は、大分後れて呑気な脚どりでぽか/\と従いて来る後ろの百合子達を振り返つて「これから、競馬場へ行つて見よう、兎も角俺に従いておいでよ。」
と合図して、河堤を急に左に折れて丘を昇りはぢめた。
「……えゝ、さうなんです、村井は或る誘惑と戦つてゐるんです。」
「まあ! ――それにしても、一体、それは――誰を恋してゐるといふんだらう?」
百合子と竹下は、そんな言葉を、馬首を並べて取り交しながら滝本の後を追つてゐた。ローラは八重と轡を並べて、切りに日本語に関する質問を提出してゐた。
竹下は話を続けてゐた。
「此方は、つまり男が四人――そして、吾々のカタリーナ媛《ひめ》が三人――四人と三人……」
「馬鹿/\しいわ、四人と三人ぢや駄目ぢやないの!」
百合子は、事更に声を挙げて馬鹿/\しさうに哄笑してゐた。竹下が伝へようとしてゐる村井の所存――四人の男達のこの頃の理想の一端は、四人と三人のこのまゝの生活を、形式を変へて都会に移しても、そのまゝ理想の共和生活が保たれなければならない筈なのだが、そして四人の騎士は、三人のカタリーナが醸し出す明朗な煙りに、誰が誰にといふ区別もなく、青春の熱烈な恋愛の感情に満足を覚へながら最も健全な生活が得られることに自信を持つてゐるのであるが――そんな、云はゞ夢のやうな陶酔状態が何時まで続くか――。
「村井は、空想のうちで結婚の誘惑に駆られはぢめたのです。」
「まあ、面倒な云ひ方をする人達だわね――はつきり誰ツて? 解らないの。」
「村井は、百合さんに恋してゐるんでせう。」
と竹下が思ひ切つたやうに云ひ放つた。
「それは違ふわ――」
百合子は、自分の言葉の矛盾してゐるのに気づかず、
「それは守夫さんだわ。」
と云つた。
「ところが――」
と竹下は続けた。「百合子さんと云ふ代りに村井は、ローラと云ひ換へても、八重さんと云つても――関はないんだつて……」
百合子は何の憂色も浮べずに、
「大分話の方向が物騒になつて来たわね。」
竹下さんも、それで――村井さんと同じいけ[#「いけ」に傍点]図々しい理想派といふわけなんぢやないの――と云ひ放つて先へ駆け抜けた。
「それが、つまり、今、彼が書き続けてゐる仕事の主題《テーマ》となつてゐるわけなんですが……」
竹下は百合子を追ひかけたが轡がうまく並ばないで、声を挙げて、
「つまり吾々の理想生活の発端といふのが、個性を超越した漠然たる夢の……花やかな円形競技の――」
などゝ意味の好く解らぬやうなことを朗読する見たいに歌つてゐた。
乗手を置き去りにしたリリーとミドリが竹下の後から坂を昇つて行つた。――ローラと八重は河原に降りて蜻蛉を追ひかけてゐた。
馬を洗つてゐる男の傍に何時の間にか太一郎と堀口が現れて、娘達の様子を眺めると二人は、
「やあ、好い処に居るぢやないか!」
と顔を見合せた。
「八重――」
と太一郎が呼んだ。何故か彼は何時でも八重の名を呼び棄てにした。「ローラさんはもう、リリーに慣れたかね。」
「えゝ、慣れましたわ。」
八重の代りにローラが何か感違ひでもしてゐる見たいな顔つきで、早くちの英語で答へてゐた。「今も皆なで行列をつくつて、駆けて来たところです。」
「此方のものだよ。」
太一郎が眼を輝かせて堀口に囁いた。
「私の馬をお借しゝませう。」
「八重は俺のにお乗りよ――競馬場へ行つて遊ばうぢやないか――ローラさん、珍らしい蝉をとつてあげますよ。」
太一郎と堀口は滝本達が競馬場へ向つたことを知らぬ様子であつた。
十二
武一がラツキイを駆つて、馬場を廻つてゐるところに滝本達が来て――此方も三人のカタリーナを出場させて選手権を争つてやらうではないか、無論三人とも勇んで承諾したから――といふことを告げると、
「左う決まれば――」
と武一は雀踊りして叫んだ。「東京へ引き上げた後も季節《シーズン》毎に村に帰つて――堀口達を牽制しつゞけてやることが出来る。百合子は、この頃こそ騎手にならなかつたが、誰にも負《ひ》けをとつたことのないブリリアント・チヤムピオンなんだもの――」
「八重さんとローラさんも、此頃では妾に負けない名手だわよ。」
「男達の働きよりも、一年一回のカタリーナ達の収入の方が断然リードするなんてことになりさうだな――ハツハツハ……」
竹下は無性に痛快さうに哄笑した。「東京の郊外に早速――ヴエランダつきのバンガロウを借りるとしよう。そいつが俺達の合宿所になるといふわけだ。」
堀口と太一郎が、ローラと八重の轡をとつて、其処に到着した。
「僕達は夫々馬を所有することが――決つたので――」
堀口等に先立つて竹下が云つた。「ドリヤンとリリーとラツキーが僕達の所有になつて――そして騎手が三人……」
前へ
次へ
全27ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング