、これでは到底フランクを頼つてはこんな怖ろしい田舎などには滞在出来ぬと思ふと急に情なくなつて、それで泣いてしまつたのだ、それにしてもあの時のフランクの様子は何うしても自分には了解出来ないが――などゝ云つた。
馬車は、賑やかな笑ひ声を載せて明るい麦畑の中の道をすゝんでゐた。
「ローラさん、フランクは、ほんとうはとても強いんだから大丈夫だよ。」
半ば滝本をからかふやうな調子で竹下が、フエンシングのチヤムピオンなんだからね! などゝ云ふと、ローラは生真面目に眼を輝かせて、そんなら何故さつきの無頼漢を畳んでしまはなかつたのか? と訊ねた。とう/\堀口は正真の無頼漢になつてしまつたわけである。家庭上のことや堀口のことに就いては、もう何もローラには説明しまい――と滝本は思つた。
「それや百合さんかローラが、いざ無頼漢に奪はれるとなれば、大活劇になつて――俺の誉れをお前に見物させてやることも出来たんだが、救助隊の来方が早過ぎたわけさ。」
「でも、この辺では屡々斯う云ふ野蛮な事件が起るの?」
ほんとうに西部劇映画の世界にでも来たかのやうにローラが飽くまでも生真面目なのには滝本達も少々てれ臭かつたが、
「それあ、あるさ!」
と云ふより他はなかつた。「都会生活者には到底想像もつかない素晴しい蛮風がいくらでも遺つてゐるよ。」
「ウヰルソン先生に見せてやりたい。先生は考古学にも趣味を持つてゐるから。――それにしても、さつきの蛮人の――」
とローラはまた堀口を話材にした。「容貌は、お前達と違つて、眼の凹《へこ》んだ具合や鼻の嶮しい感じ、そして、笑ひなのか、憤りなのか区別のつけ憎い表情のあんばいは、日本人といふよりも寧ろギリヤーク族に似てゐるが、この地方にはヤマト民族と種別を異にした移住民がゐるのではないか?」などゝ学究的な質問を放つた。
滝本は思はず頭を掻いて、
「その種の研究は未だ経験ないが――仔細に験べたならば或ひは新事実を発見するかも知れない。さう云つて見ると、彼《あ》の無頼漢一味の頭悩の働きは吾々とは余りに違つてゐる、彼等の血液は確に類を異にした原始性を交へてゐる。」と云つた。そして「その種の研究は別の日に話合ふとして、ローラよ、お前を悦び迎へてゐる吾々のためにロメリアの歌でも教へて呉れないか?」
と話頭を転じた。そこでローラが滝本の肩に凭りかゝつて青空に眼を挙げながら、何か歌ひ出さうとした時、一同は、遥かの後ろから、声を限りに呼びかけて来る物音に気づいた。
「おーい、待つて呉れ!」
振り返つて見ると堀口を先に立てゝ四五人の男がキヤベツ畑の畦道を伝ひながら一勢に双手を挙げて、夢中で呼ば張つてゐた。
「あツ! 逆襲して来た!」
ローラは悲鳴を挙げて滝本の胸に突つ伏すと日本語で「あんちくしようめが!」と叫んだ。
ギラギラとした逆光線をまともに面上に享けて、大口をあけて叫んでゐる堀口等の表情が、嘗て覚えたこともない獰猛さを溢《みなぎ》らせて、寧ろ怪奇的に、鬼のやうに滝本の眼にも映つた。
十一
竹下は、シーズンの制作に、海辺の風景を選んで、麗かな日だと午前《ひるまへ》から百合子やローラやそして八重達を誘つて、馬車で海辺へ通つてゐた。村から海辺までは、河添ひの田甫道に添つて一里近くの道程《みちのり》だつたが、娘達はビーチ・パヂヤマのまゝで、ギターや手風琴などを抱へて繰り出して行くのであつた。
「村井――もう起きたのか? 一処に出かけないか?」
村井の部屋となつてゐる蔵前の中二階の窓が開け放しになつて朝陽が窓掛けに射しかゝつてゐるのを、庭先きから竹下が見あげて声をかけた。微風をはらんだカーテンがふわ/\とゆらいでゐたが村井の姿は現れなかつた。
「セブラ――起きろよ。」
竹下は切りに呼びかけてゐたが――村井は危く寝台から落ちさうな姿で、ぐつすりと寝込んでゐるところなので、百合子やローラも一処になつて呼びかけたが、無論、無駄であつた。
友達が編輯してゐる雑誌に「|南方の騎士《シルバー・ナイト》」の第一稿が載りはじめてゐたので、この頃の村井は、その続稿の執筆で徹夜を続けてゐる状態だつた。村に居る間に彼は、その創作を完結してから、皆なと一処に意気揚々と東京へ引きあげる決心だつたから――。
寝台の傍らには、しほりを挟んだ古典の伝奇小説の本やら、画集の類ひやらが四散してゐて、卓子《テーブル》のまはりには書き損じの原稿が破かれたり丸められたりして飛び散つてゐた。
「誘惑の沼とセント・ジヨージ」
(第三章)――卓子の上の原稿には鷲ペンの太文字で、そんな表題が誌してあつた。鷲ペンの先をナイフで削りながら、文字を書くのが村井の趣味だつた。
「いくら呼んだつて駄目だよ、村井はもう少し前に眠つたばかりなんだもの――」
泉水を隔てた書院
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