の面影もそれほどはつきり思ひ出せなくなつたが、髪の毛のすき透るやうな鳶色の具合、眼の玉の碧さ、そして皮膚の白い陶器に似た艶の態《さま》は、相当の注意を向けて眺めても混血児とは解らなかつた。そんなやうなことで彼女が何か片身の狭い思ひでもしてゐるのではなからうかなどゝ憂へた験しもあつたが、凡そ他の西洋人達の中に見比べても見境ひのつかぬのを知つて、滝本は、自分で可笑しく思ひながらも秘かに胸を撫で降した。もう一つ別に、彼に安易さを覚へさせたのは、彼が心配したように「生活」を求めて彼女が訪れて来たのではなくつて、全く単純な観光客として、小さな観光団に加つて、序でに、眼色の変つた兄貴にも会つて行かう――位ゐの、全く安楽な状態で、遊びに来たのであるといふことだつた。一行と一処に帰国しても関はないし、都合に依つては自分だけ滝本の許に幾月でもとゞまつても差支へないといふ話であつた。
滝本が、この頃の自分の生活のかたち[#「かたち」に傍点]に就いて最も手短かに説明した後に、今では皆なで森の屋敷を占領して、日本の old《オールド》 Romance《ローマンス》 の時代を髣髴するやうな空気の中で学生らしい日々を送つてゐる――といふことなどを伝へると、ローラもその仲間に加はりたいと云つた。
一行は日光から松島を見物して、引き返して関西へ赴くところだつた。横浜と東京で二三日行動を共にして一端村に引き返してゐた滝本は百合子を誘つて、国府津駅で、一行に別れを告げて村へ来る筈のローラを待つた。
「ローラさんは日本語が出来る?」
「大分拙くなつたが、直ぐに慣れる程度だよ、あの位ゐでは――。前には此方こそRさんの家庭ぢや英語ばかりだつたんだが、今度会つて見ると恰で僕が、それが出来なくなつてゐるのに驚いたよ。それに比べるとローラの日本語の方がずつと確かだつたよ。」
「妾も日本語でないと困るわ。だけど英語だと、とても日本語ぢや云へさうもない感情的なことが――平気で云へるのは面白いと妾思つてゐるのよ。」
「例へば何んな風に?」
「何んな風と云つても困るけれど……」
と百合子は愛嬌に富んだ首を大業に傾けて何か思ひ付いたことを云つて見ようとする思案の眼を挙げたりした。
間もなく列車が到着したので二人は会話を断《き》つて、用意をしてゐると、ローラは窓から伴れの人達と一処に半身を乗り出して切《しき》りと手布を振つてゐた。鳥類の群が到着したやうな騒がしさであつた。六尺豊かの赧顔の紳士が、ローラは横抱きに両腕に載せて悠々と人々を分けてプラツトホームに降りて来ると、滝本には到底聞きとれなかつた早口で愛嬌めいたことを云ひながら――さあ、どうぞうけとつてお呉れ、私達のローラを――さう云つて滝本の胸先に突きつけたので、滝本も亦紳士と同じやうに両腕の上に享けなければならなかつた。滝本があかくなつてローラをうけとると、列車の中の人達が一勢に鬨の声を挙げた。そして、慌しく幾人もの人達が次々に降りて来てローラの額やら頬やら唇に激しい接吻の雨を浴せてチヨコレートの包や花束などでローラの胸を埋めた。中には、さめ/″\と涙を滾してゐる年寄りの婦人もあつた。
あとでローラが云つたのだつたが、これでもうローラは一行の者とは再び日本では会はないであらうといふことだつたので、あのやうに皆なが、事の他感情に走つてゐたのであるさうだつた。道理でつい此間|埠頭場《はとば》で彼等を迎へた時に比べると全《まる》で趣きが変つてゐた――と滝本は気づいた。花束や菓子の箱などに埋れたローラを抱きあげてゐる滝本を中心にして、突差の間に、記念の撮影などして、一行の列車は西へ向つた。
あの時ローラを抱き降ろして来た肥つた紳士は、ローラの街のミドル・スクールの博物の先生でウヰルソンといふ博士ださうだつた。一年ばかり前からローラは、ウヰルソン先生の標本室に助手を務めて、自活の道を立てゝゐたさうだつた。
支線の車に乗り換へると、ローラも涙に沾《ぬ》れた顔を直すために※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ニテイ・ケースを膝の上に取りあげると一心になつて鏡をのぞきはぢめた。
「妾のフランク――」
とローラは滝本を称んだ。この前に合つた時に、二人の父親がアメリカ人の友達の間でフランク・タキモトと称ばれてゐたことを思ひ出して――これからはお前のことを左様称ぶよ――とローラが勝手に決めてしまつたのだつた。その時滝本は、村井の小説の話を持出して、この頃村では、互の名前をパトリツクだとか、セブラ、オーソニイ、そしてダビツトだとかに称び代へてローマンスの夢に耽つてゐるところなので、今度は自分がフランクとなつても驚きもしない――などゝ突然大きな声で、わけもなく嗤ひ出しながら点頭いたりした。
「此方側に回つて、妾がお化粧をする間、これをおさへ
前へ
次へ
全27ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング