、何か歌ひ出さうとした時、一同は、遥かの後ろから、声を限りに呼びかけて来る物音に気づいた。
「おーい、待つて呉れ!」
振り返つて見ると堀口を先に立てゝ四五人の男がキヤベツ畑の畦道を伝ひながら一勢に双手を挙げて、夢中で呼ば張つてゐた。
「あツ! 逆襲して来た!」
ローラは悲鳴を挙げて滝本の胸に突つ伏すと日本語で「あんちくしようめが!」と叫んだ。
ギラギラとした逆光線をまともに面上に享けて、大口をあけて叫んでゐる堀口等の表情が、嘗て覚えたこともない獰猛さを溢《みなぎ》らせて、寧ろ怪奇的に、鬼のやうに滝本の眼にも映つた。
十一
竹下は、シーズンの制作に、海辺の風景を選んで、麗かな日だと午前《ひるまへ》から百合子やローラやそして八重達を誘つて、馬車で海辺へ通つてゐた。村から海辺までは、河添ひの田甫道に添つて一里近くの道程《みちのり》だつたが、娘達はビーチ・パヂヤマのまゝで、ギターや手風琴などを抱へて繰り出して行くのであつた。
「村井――もう起きたのか? 一処に出かけないか?」
村井の部屋となつてゐる蔵前の中二階の窓が開け放しになつて朝陽が窓掛けに射しかゝつてゐるのを、庭先きから竹下が見あげて声をかけた。微風をはらんだカーテンがふわ/\とゆらいでゐたが村井の姿は現れなかつた。
「セブラ――起きろよ。」
竹下は切りに呼びかけてゐたが――村井は危く寝台から落ちさうな姿で、ぐつすりと寝込んでゐるところなので、百合子やローラも一処になつて呼びかけたが、無論、無駄であつた。
友達が編輯してゐる雑誌に「|南方の騎士《シルバー・ナイト》」の第一稿が載りはじめてゐたので、この頃の村井は、その続稿の執筆で徹夜を続けてゐる状態だつた。村に居る間に彼は、その創作を完結してから、皆なと一処に意気揚々と東京へ引きあげる決心だつたから――。
寝台の傍らには、しほりを挟んだ古典の伝奇小説の本やら、画集の類ひやらが四散してゐて、卓子《テーブル》のまはりには書き損じの原稿が破かれたり丸められたりして飛び散つてゐた。
「誘惑の沼とセント・ジヨージ」
(第三章)――卓子の上の原稿には鷲ペンの太文字で、そんな表題が誌してあつた。鷲ペンの先をナイフで削りながら、文字を書くのが村井の趣味だつた。
「いくら呼んだつて駄目だよ、村井はもう少し前に眠つたばかりなんだもの――」
泉水を隔てた書院
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