出してゐたさうだよ。俺は、それを聞いた時には太一郎達が何か新しい魂胆を回らせてゐるんだらうと思つたが――」
 二人が、荷物の支配などをしながら篠谷に対する憤懣からついつい荒つぽい言葉を取り換してゐると、何時の間にかローラが傍らに来てゐて、滝本と七郎が、
「よしツ、もう二度とラツキーは渡しつこないから!」
「あんなべら棒な話つてあるものか!」
 さう云つて言葉が止絶れると、ローラは酷《ご》く熱心な眼を輝かせて、さつきから二人の会話を非常に注意深く聞いてゐるのだが、さつぱり意味が解らない、二人は何か争ひを始めたのか? 「あいつ」といふのは「彼《ヒイ》」の意で「俺《おい》らはなあ!」といふのは「自分が考へる処に依ると」といふ意味だと百合子が教へたが、その他の「べら棒奴」とか「あん畜生奴が」等と云ふのは(それがまたこの時非常に屡々二人の間で使はれてゐた。)一体何詞に属するのか? と滝本に質問した。一体滝本は、何事に依らず説明をするといふ業が酷く不得意だつたが、この時は七郎から篠谷の噂を聞いて向つ肚が立つてゐて、凡そローラの心持とはうらはらだつたせゐか、面倒臭さうに、それは単なる感投詞だ! と答へたゞけであつた。
 ラツキーに車を曳かせるのを思ふと滝本は、いろ/\と胸が痛んだが、百合子は関はぬと云ふし、それに踵の高い靴を穿いてゐる二人の娘に村までの道を歩かせるわけにも行かなかつたので、上着を脱ぎ棄てゝ馭者台に乗つた。
「ぢや俺は先へ行つてゐるぜ。若し途中で太一郎にでも会つたら、ラツキーの話なら塚本に来れば解ると、若し向方で何か云つたら左う云つて……」
 七郎は自転車で走つて行つた。

     十

 駅から森のR村までは海に臨んだ崖道に沿つて、山裾が翼になつて彎曲してゐる蜜柑や麦畑の丘の下をうね/\と迂廻しながら、三つの部落を過ぎた後に、北へ、山へ向つて二里ばかりの田圃道をたどらなければならなかつた。――午迄には未だ余程の間がある真夏のきらびやかな朝の陽《ひか》りのうちだつた。白い雲の峰が水平線の上に一塊りになつてぽつかりと浮んでゐた。山裾を回つて裏側の道へ向ふ時は恰度崖道が海の上へ向いてゐるやうなかたちになつて、沖合の雲が脚下に見降せるのであつた。滝本は、なるべくラツキーの脚並みを和やかに保つて、座席の者と話を交しながらすゝんで行つた。ローラは次々に展開されて来る新しい風
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