した。――滝本は、何故、思ひ切り好く郷里を棄てることが出来ないのか? 自分ながら判断がつかなかつた。
「ローラのことだつて、阿母にだけは未だに隠し通してある。親父は、二十年隠し通して、更に秘密を僕に譲つたわけだが――」
 不図滝本は、そんなことを云つた。百合子達だけには、古くから滝本は「秘密」を明してあつた。
「まあ、これ、ローラさんの写真――妾、見違へたわ――守夫さんのお得意の西部劇にでも出て来る女優かしらと思つたわ。」
 百合子は滝本の卓子《テーブル》から置額を取りあげた。
「去年の夏のだつて――」
 ローラは、アメリカ人を母に持つ滝本の妹である。そして今、七年振りで日本を訪れようとしてゐる。
 滝本が、家うちの話などを初めると、
「妾、そんな深刻めいた話、厭《きら》ひだわ。」
 と事もなげに百合子は一蹴した。
「ローラを何ういふ立場に置いたら好いかしら、と思つて――」
「奇智《ウヰツト》が必要なのね。」
 と百合子は、勿体らしく首を傾げた滝本を冷笑した。滝本の一見真面目らしい、責任感などは、結局何うすることも出来ない架空の感傷だ――と百合子は思つた。母親の財産を掠奪してゞもローラにだけは、物質上の分配をしたい――滝本のそんな考へが百合子には無駄に思はれた。
「マヽと一緒に来るのか知ら?」
 百合子は、わざと白々しく云つた。
「観光団に加つて、ひとりで来るらしい。親父が送つてゐた生活費の最後の分を、そのために貯へて置いたのだつて――」
「兄さんに会ふために、遥々と海を渡つて来るなんて、それだけで、とても楽しいことだらうな――」
 皆な同じやうに、新しい生活の出発点に立つてゐるのだから、来てからの上で、
「さうだ、妾がお友達になるわ。」
 と百合子は、片づけた。――「守夫さん、相対性原理の説明をして呉れない。」

     二

 夕暮時になつたので二人は部屋を出て、海の見える縁側に出た。
「小父さん、今日は――何時妾が来たか知つてゐて?」
 留守番の年寄が、庭にゐたのを見て百合子は声をかけた。年寄は、驚いて、暫く見なかつた間に、すつかり立派なお嬢さんになつてしまつて、眼《ま》のあたりに見ても、声をかけられるまでは、あなたとは気づかなかつた――などと見惚れた。
「今夜、御馳走してね。手伝ふわ。妾、泊つて行くのよ。」
「御馳走は何にもありませんよ。」
「ぢや、妾が何
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