させながら鞴の把手を動かせてゐた。
「ほんとうだ!」
 父親は、架空の影をセヽラ嗤ふやうな苦笑を浮べ、娘に好意の眼を向けてゐた。
「然し、お前、斯んな暮しを不服に思ふことはないかね、稀には。いつの間にか、もう年頃なんだからな。」
「不服――それあ不服だつてあるわよ。」
 八重は鞴の把手と一処に、わざと床とすれ/\になる位に仰《の》け反《ぞ》つて、
「あらまあ、父さんたら、妾が不服だなんて云つたら、あんな心配さうな顔なんてしてゐるわ。可笑しいな!」
 と笑つた。八重は、ふざけて、気取つた演説口調で、
「何んな生活にだつて、幾分の不服や憂鬱といふものはつきまとふのが当然であり、たゞこれを以何に取り扱ひ……ハツハツハ、学校で修身の先生が仰言つたのよ。」
 などと戯れながら、起きあがつた。
「あらまあ、つまんないことを云つてゐるうちにすつかり火が出来過ぎてしまつたぢやないの。」
「篠谷の鉄沓を打つのは此方も不服だ。」
 父親と娘は反対の位置に取り換つた。真赤に焼けた鉄片を金床の上に取り出して父親がコツコツと金槌で叩いてゐる間に八重は、仕事場に続いた畳の居間に這ひあがつて、畜音機を廻しはじめた。其処の壁の上には、もうすつかり茶褐色に変つてゐる七郎のと並んで八重の高等小学校卒業の優等の免状が額に入つてゐる。卒業生の記念の写真も並んでゐる。
「さあ、出来たよ。」
 父親が合図すると、八重は力一杯の両腕で持ちあげる槌を執つて向ふ前に構へた。父親が調子をとつて小槌を振りあげ、蹄鉄を続け打ちにした後に、そら来たツーカーンと金床を打ち鳴らすと、大上段に振り翳されて合図を待つてゐた八重の槌が火花の中に振り落された。――二つの槌の音が入れ交つて、狭い工場には忽ち活気が満ち溢れた。
「レコードが恰度合ふぢやないの。あれが森の鍛冶屋なのよ。」
「なるほどな――。この勢ひなら午までには大方仕上るぜ。厄介払ひだ!」
 二人は踊りでも踊つてゐるやうに面白く調子づいて、切《しき》りに仕事を忙いでゐた。
 恰度それと同じ時刻であつた。七郎が浜辺で網干しの仕事にたづさはつてゐるところに、鴎《かも》打ちの散歩に来たといふ太一郎が、ステツキ銃を羽織の蔭にぶらさげながらやつて来て、手まねぎした。
「うちの誂へものは一体何時出来るのかね!」
 七郎は聞いてゐなかつたので、知らない旨を答へると太一郎は、憤《む》ツとし
前へ 次へ
全53ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング