足した。
「何だつて!」
滝本は、思はず怒鳴り返した。――「失敬なことを云ふなツ!」
「凄い腕だね。たうとう娘を誘惑してしまつて……」
「馬鹿ツ!」
滝本は、震へて、喉が塞《つま》つた。
「森さんでは捜索願ひを出すと云つてゐるぞ――」
「此処にゐるのが解つてゐて捜索も何もないぢやないか――」
「つかまらないうちに逃げたら何うかね。……君の母さんが、其家は逢引の宿ぢやないから、出て行つて貰ひたいと云つてるよ。」
「……俺の勝手だ。」
滝本は、怒りのために全身が震へて、今にも昏倒しさうであつた。
「登記所へ行つて見て来ると好いんだ、其家が誰のものか直ぐ解るよ。出て行け。」
「何うしても出て行かなかつたら、何うしようといふんだね。」
滝本は、不思議な落着を覚へた。
「悪党――女蕩し!」
「…………」
滝本は、言葉を失つた。
――「妾が出るわ。」
何時の間にか滝本の傍らで百合子が、この争ひを聞いてゐた。百合子は滝本の書斎の鍵を持つてゐたが、その手で受話機を引きたくつた。
「もし/\、妾、百合子ですが――」
と静かに呼びかけた。
「堀口さんですか、昨日は失礼しました。……えゝ、妾、泊つたわよ。今日も明日も泊るつもりですわよ。」
滝本は傍に居られないで、座敷に戻ると、家中を彼方此方と無意味に歩き廻つてゐた。書斎の扉《ドア》は開け放しになつて、ベツドの毛布が床に半分落ちてゐた。――百合子がベツドの方が望ましいと前の晩云つたので、滝本は鍵を渡して、あけ渡したのであつた。そして自分は、留守居の年寄に傍に来て貰つて、ずつと離れた部屋で寝た程、余計な神経をつかつてゐるではないか。
「妾の父が見えたんですツて――ぢや、恰度好いわ、妾は、守夫さんと結婚する意志がある――といふことを云つて下すつても関ひませんわ。えゝ、でも、二三年先のことになるかも知れないけど……そんなことは此方の自由ですもの……えゝ、えゝ、これだけの話でもう充分よ。」
それで、百合子は電話を断《き》つた。――と彼女は、次の部屋でまごまごしてゐる滝本の傍らを、パジヤマの袖で顔を覆ふようにして、眼も呉れずに駆け抜けた。そして滝本の書斎へ――彼女の寝室へ、慌しく駆け込んでしまつた。
電話の、百合子の終ひの言葉は滝本には凡そ思ひも寄らぬものだつた。信じて好いのかしら――と疑はずには居られなかつた。仲裁のための、
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