と、急にでれ/\して良ちやんの手を引つ張つたりなんかするんだつてねえ! それが薄気味悪くて厭だから良ちやんは、帰らうかと云つてゐるんだよツ!」
さう云つて彼女は、冷たく突き離して私の顔を睨めた。――私は、急に彼女の正視に堪えられぬ程、理由もなく顔が赧くなる思ひで、云ふ言葉が見出せなかつた。彼女は、私の弱点を突いたやうに思ひあがつて
「さうして、厭らしい顔つきをして、口を突き出したりするんだつてね、厭アな奴――この口をよう。」と続けて、矢庭に、ぽかんとしてゐた私に、震える手を差し伸すと、力一杯私の両唇をつまんでギユツとねぢりあげた。私の唇は、貝のやうに堅く閉ぢられて、縦になつた。
何と云つたら好いか?
私は、眼ばたきもせずぴかりと眼を視開たまゝ、云ふべき言葉の浮んで来るまで、その儘凝ツと唇を縦にされてゐた。私は、鼻腔だけで呼吸した。
――静かな夏の夜だつた。
底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「中央公論 第四十一巻第一号(新年号)」中央公論社
1926(大正15)年1月1日発行
初出:「中央公論 第四十一巻第一号(新年号)」中央公論社
1926(大正15)年1月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年5月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全20ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング