近に「ヲダハラ會館」といふカフエーを經營してゐた。しかし、そのくせ少しも才子肌のところも見えず、はなしをしてゐると、稍ともすれば意味もなくテレ臭さうにわらつて、顏を赤くするやうな悠長な人柄だつた。
「さあ、いくらといはうかね?」
 彼は隱岐の方に向きをかへて、にやにやしてゐた。隱岐が默つてゐると、彼は婦人達に事更にいんぎんに
「いゝえ、もう住んで戴くだけで結構なんですよ。」
 と氣轉を利かせた。しかし彼女達には玄八の好意は通ぜぬらしかつた。そんな場合に殊の他内心では見得を切りたがる隱岐は、重苦しくて返事も出來なかつたが、彼女等は易々と享け入れて、現像の暗室があるなどと悦んだりした。
 だまつてゐても庭掃除の者が來たり、レコード屋が御用聞きにうかゞつたりするのであつた。――彌生は專門學校の英文科を左傾がかつたことを云つて自分から退學したのであるが、この頃ではけろりとしてしまつて
「ねえ、このぐらひの家に住むとなれば、何うしたつて着物から先きに一と通りはそろえてなくては、あたし表へ出るのも耻しいのよ。何處へ出るにも、海岸散歩の歸り見たいな恰好ぢや、いまどきいくら田舍だつて相當氣が引けるわ。
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