くなるだらうと隱岐は思ひもしたのであるが、まるで駄目だつた。性根が浮調子で、ひがみ強いのだから何をやつたつて中途半端なのだが、彼女は自分の才能までを悉く夫の犧牲と心得てゐた。
「そんな本なんて讀んでゐる振りをしないで、これでも見てゐる方が好いでせうよ――だ。」
 細君は、やをら立ちあがるとデスクの抽出しから二三通の封書を取り出して彼の上に落した。「流れ御通知」といふ書付ばかりであつた。――一圓五十錢、男袴。三圓、男袷。七圓、女帶。四圓、麻雀……」などと、とても判讀の出來ない態の達者な文字が讀みきれぬ程竝んでゐた。



        三
 或晩細君は、落ち着いた氣分で斯んなことを云つた。
「やあちやんに、あたしはまるで戀してゐる見たいだわ。自分が女であるといふことを、忘れるんだもの。」
「同性愛といふのかね?」
 と隱岐も興味を感じた。
「……堪らない言葉だけれどね。」
 細君はあかくなつた。彌生は、廊下を隔てた浴室にゐた。細君は、わざと廊下の燈りを消しに行つて、誰もゐやしないから平氣よ。影を見せてね――などと彌生にさゝやき、硝子戸に映る姿に見惚れてゐた。
「以前には隨分聞いた言葉ぢやないか、この頃は別の言葉になつてゐるかも知れないが。學生時分に經驗があるかね?」
 ――隱岐は、それは自分が凡ゆる點で彼女に不滿足ばかりを與へてゐるので、自然と變質的な傾向に走つたのであらう――と考へ、殊に田舍に移つてからの自分をいろいろと振り返つて見たりした。
「ほんとうは、あたし畫なんか描きたくはなかつたのよ。だましちやつたのさ。」
「……愉快だね。」
「いつまで見てゐても飽きないわ。それよりも、このごろぢや、嫉妬を覺えて、苦しくなつたりするわ。彼女の結婚を考へると、凝つとしてゐられなくなつたりするのさ。……だつて、まあ、あの子の、體の綺麗さ加滅[#「加滅」はママ]と云つたら、それあもう、何とも彼とも、云ひやうもない――ふるひつかずには居られないほどの……」
「ふるひついたことは、あるか?」
「あら、眼をまるくしてら……でも、あたし、いろいろ考へて、いつかのお前のことを無理もないと思つてるわ。」
「……馬鹿だつた!」
「あたしだつて、それより激しい氣持になることがあるんだもの。」
(以下の會話數行省略する。)
「顏はそれほどの美人といふほどのこともないけど、ヘツプバアン見たいな口
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