舟を持つ身になれたか、家名を実質上に取り戻し得ることになれたか――というようなことには触れもしないのである。僕もまた訊《たず》ねる余裕を持たなかった。
「だが、ふと気づいてみるといつも壁に懸けてあるそれ[#「それ」に傍点]が――」
と彼は僕の身装《みなり》を指差した。――「それが見あたらないので、こいつはきっと俺と行き違いになったんだろう、と思ったから慌《あわ》ててマメイドに引っ返して、張番をしていたんだが、その間の切ない気持といったらなかった。君の気配を外に聞くと娘はあんな風に飛び出して行ったんだが、俺は体中が無性に震えあがるばかりで動けなかったんだよ。そして俺は妙に落着いた口調で、君に、折角支度をして来たのに気の毒だったな――なんていったが、実はその恰好《かっこう》の君を見つけると俺は一層|嬉《うれ》しくなって、何にもいえなくなって、言葉を間違えてしまったんだよ。」
「この旗が再び海の上に飜《ひるがえ》ることになったのは何年ぶりなの?」
いつからともなくそこの壁に掛っている『七郎丸』の旗誌を僕は、感慨深く見あげながら質問した。僕たちは、その旗に関しては七郎丸が大酔をした時に、たっ
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