を突きあげているままの生人形に化していたのである。
 ベルが鳴った。
 来訪者だ。
「どなた?」と七郎丸が通話口に顔をあてて訊ねた。
「エレベーターを降して頂戴な。」
 僕の妻の声だった。
 ここの部屋は「係員以外の出入厳禁」であったから、係員である僕たちは部屋に戻ると縄梯子《なわばしご》を捲《ま》きあげておかなければならなかった。また荷物を携えている来訪者は、係員にエレベーターの下降を乞《こ》うのであった。
 滑車に綱を垂らし、綱に木製の箱を結び、これを釣籠《つるべ》仕掛で、部屋の中から人力で捲きあげるエレベーターである。人力ではあるが、捲き上げの部所には大小二個の歯車がつけられ、大輪のハンドルを把《と》って捲きあげる具合になっていて、あたかも自転車の理に似て、機械は与えられたる動力の幾倍かの仕事能率を現すわけだったから、仮令《たとい》酔漢であろうともこのエレベーター係りは容易《たやす》く果されるわけだった。
「おひとり?」
「いいえ、大勢――マメイドさんも一緒よ、そこで出遇ったの。」
 そこで僕は、七郎丸に代って通話口を覗《のぞ》き込んで唸《うな》った。
「どんな意味であろうとも僕らに反感や不快を抱いている者があったら、今夜だけは失敬する。」
「お神楽《かぐら》の稽古《けいこ》の邪魔になって?……遠くから皆な見えたわよ。」
「どうしようか?」
と僕は七郎丸に計った。
「見られたら見られたで、決して臆するところはないよ。――降そう。」
 鍵《かぎ》を外すと、ゆるやかな音をたててエレベーター・ボックスが静かに降りて行った。
「御存知でしょうが、ひとりずつでなければいけませんよ。」
「六人も、で、大変じゃありませんか?」
「御遠慮なく――。乗り込む度《たび》にベルをおして下さいよ。」
 ベルが鳴った。
「オーライ。――それっ!」
と七郎丸が合図すると、二人は、至極もの慣れた動作で、
「ヘッヴ・ハウ! 捲け捲け! ヘッヴ・ハウ・ハウ捲け捲け」と掛声勇ましく、吊籠《エレベーター》を引きあげるのであった。
 最初に箱から現れたのは、登山袋を背にして片手に醤油らしいものの瓶や葱《ねぎ》の束などを携えているBだった。(B・R・Hなどの若者は僕の妻と弟の友達で其処《そこ》の僕の村の住居で共和生活を続けている同人である。次々のR・H・妻、そして弟らも一様に重そうなリュック・サックを背にしていたことを先に述べて置こう。)
「今日は荷車を曳《ひ》いて町へ行き、あなたの本を大方売却しましたよ。」
「そいつは酷《ひど》い。あれらの書物は僕の生命についで――」
と僕は赤くなって詰問しようとすると、次のベルがなって、再び僕らはハンドルを執らせられる――と、Rが、蓮根《れんこん》や牛蒡《ごぼう》を抱《かか》えて現れ、
「あなたの時計を質屋に預けて弾丸を買って来ました。当分肉類の心配はありません。」
と申し立てた。Rは鉄砲の名手で、常々僕らを鳥をもって養っていた。
「ああ!」
 僕は悲鳴をあげた。「あの時計がなくなったら僕は観測台の仕事が……」
「僕はガソリンを買って来ました。これで当分の間町通いにオートバイが使えることになりました。どんな類いのあなたの用事でも一時間以内で果せるでしょう。」
とHが、モビロイルのブリキ罎《びん》を僕の目の先に誇らかに突きつけた。
「そして、その資金は?」
 僕は痛い胸を押えて眼を視張ったが、答えを待つ間もなく、次のベルで、
「兄さんだけが着物を持っていることもなかろうと相談して、……」
「その先は聞かすな。俺は悲しくなる。」
 僕は弟に向って激しく手を振った。なかなかの洒落者《しゃれもの》である僕は着物を奪われてしまったかと思うと泣きたくなるのであった。が泣く間もなく、パンの棒を小脇に抱えた妻がマメイドに続いて現れ、
「あなたは、否応《いやおう》なく、当分の間は、その装《なり》でいなければなりませんよ。」
と宣告を与えた。それを聞くと同時に僕は一途の嘆きがこみあげて来て、
「ああ、どうしよう? どうしよう?」とばかりに声をたてて泣きくずれてしまった。
 一同の者は僕の女々《めめ》しい醜態に接して唖然《あぜん》とした。何故なら僕は常々所有の物資に関してはおそらく恬淡《てんたん》げな高言を持って彼らに接していたからである。
「何ぼなんだって、この身装《みなり》でこれから俺は毎日を送らなければならないなんて……」
「皆さん。」
と七郎丸がいい放った。「安心して下さい、マキノ君は今夜は常規を外《はず》れた或る歓喜に酔っているがために、思わずも感情が不思議な処へ外《そ》れてしまったんです。彼ばかりとはいいません、この私も――」
「七郎丸さん、あなたもお酒を飲む人なの?」
「そんなことは……」
と彼はそれとなくおしのけて、「七郎丸」に関
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