も歌へるんだから、一つ、まあ端から順々に披露して呉れ。」
「――何を、はにかんでゐるんだい。愚図々々してゐると喉を絞めるぞ。」
八方から所望されるのだつたが、私は、白面といふばかりでなく、知らぬ人の顔が大分見うけられるので、有無なく調子に乗るわけには行かなかつた。で、私は、そんな呑み方は不得意であつたが、目をつむつて茶碗の酒をひつかけたが、さつぱり動く気色も感ぜられなかつた。
「さあ、歌へ/\、このモダン男……」
さう云つて向方側の隅から私に飛びかゝつて、実に堪らない口の悪臭をはあつと私の鼻に吐きかけた男に気づくと、緑山寺の和尚であつた。アトリヱの丘つゞきにある寂れた寺の住職で此処から歌が聞えると、とるものもとりあへず、生垣を飛び越えて屹度駈けつけて来るのである。四五日前、珍らしく鶴井が野良装束になつて、生垣のはちす[#「はちす」に傍点]の手入れをしてゐるところを見たので、私は、はちす[#「はちす」に傍点]の花を貰はうとして傍へ行くと、
「今ね、和尚の道を塞がうとしてゐるところなんだよ。どうも酒樽が着いて以来、泊りがけの御入来でね。」
と寺の方を指さしながら、生垣の穴をつくろつて
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