麗らかな冬景色の止め度もなく明るい畑中であればあるだけ、戸惑ひをして現れた化物共の有頂天の酒盛り騒ぎのやうに、不図私には面白く思はれた。お竹蔵の夜神楽が、真ツ昼間の田舎の空に飛び出して――私はそんな妄想に打たれて、得難い胸の高鳴りを覚えた。
「やあ、はじまつてゐる、はじまつてゐる――あツはツはツハ!」
私は、突然天を仰いで大笑ひの声を挙げたが、それは私の口腔を飛び出て、うらうらと冴え渡つた碧空へ散つてゆくのを気にして、見あげると「笑ひ」とは思へぬ――烏天狗の、人間《ひと》を威嚇する音楽のやうに享けとれた。近頃、とんと斯様な噂は消え去つたが、一体このあたりには私の幼時の頃までは、天狗の出没に関する事蹟が矢鱈に流布されて、悪夢を持つた人々の心胆を寒からしめてゐたものであるが。
どうにも前の晩の寝不足が祟つて、凝つと「モデル椅子」に掛けてはゐられなくなつたので、私は岡の仕事に中止を乞ふてアトリヱを出たのであるが、脚下に、なだらかな凹味になつた桑畑から、むつと噎せ返して来る和やかな陽《ひかり》にあをられると、人心地もなく、さんらんたる夢に酔ひ痴れてしまつてゐた。ところで、天と地の底なしの明るみを湛えた空洞の無音状態に耳をそばだてながら、貝殻の空鳴りと同様の、無形の、巨大な翅音の竜巻に巻き込まれて窒息しかかつてゐたところに、突如として、桑畑の一隅の小屋から破裂して来た珍奇な唱歌隊の合唱に、云はゞ私は救助されて、地上に伴れ戻されたのであつた。
小屋は、今や、未曾有の乱痴気騒ぎをはらんで、間もなく、はち切れんばかりの凄まじさの絶頂であるかのやうだつた。
私は、妻の手をとつて、
「行つて見よう、行つて見よう――」
と浮きたつた。
二人は、両腕を水平にして、丘の上に、爪先立つて、凧のやうに胸一杯に風を吸ひ込んだ。――そして、滑らかな芝生を、グライダアに化けた気で、一気に駈け降りた。ほんたうに、それは芝生を滑走して、突端に迫つたならば、ものゝ見事にふはふはと離陸出来さうな青空であつた。
「面白い、面白い、ハツハツハ……」
跣足か、でなければ薄底のサンダルでも穿いてゐるやうに、妻のも、私のも、靴音なんて知らぬやはらかな芝生であつた。
「凧だ、凧だ!」
私は、調子に乗つて、凧のやうに翼を煽ると、妻君も真似をして、唇にぶんぶんとぷろぺらの唸りを発しながら、小屋の窓から糸をたぐり寄せられてゐる通りに、一直線に騒ぎの方へ吸ひ込まれて行つた。
然し妻君は、二人今あの騒ぎの小屋へ沈没したならば、手もなく夜昼のけじめも忘れた泥酔の土鼠に化してしまふことを怖れて、もう暫くこの芝原で遊んで行かうではないか、岡のアトリヱから筵を持つて来て、橇にして、このスロウプを滑つて見ようではないか? などといふことを申し出た。
私は賛成して、上衣を脱ぎ、靴や靴下も棄てゝ運動の用意をした。妻君も私の通りにして、
「さあ、一二三! で、上まで、昇りツこ!」
さう云つてスタートの構へをした。
で、私達は兎のやうに丘を駆けのぼりはじめた。恰度中程にさしかゝつた時に私は、事更に脚を滑らして見て、
「アツ!」
と、叫んだ。適度なやはらかみと傾きの加減と明るさを湛へた絨毯に似た芝生の感触が、そんな誘惑を私に強ひたのである。ところが、滑り落ちはじめて見ると、それは、思つたよりも眺めたよりも、中々に嶮しい感じの傾斜であつて、私の体は頭もろとも、ものゝ見事に逆転して、樽のやうであつた。私に続いて妻君は腹這ひになつて横になると、忽ち風車のやうにグルグルと転げ落ちて来た。私は、下の芝生で待ち構へて、回転が止らうとするほんの手前で巧みに両腕に掬ひあげた。
二人は腹を抱へて笑つた。
私達が、そんな遊びを繰り返してゐる間も絶え間なく小屋からは、酩酊者の合唱が響いてゐた。
「あの仕事が、はじまつたとすると、あれが済むまでは、東京へ移れないかしら?」
妻君の云ふのは、私のモデルのことゝ、私達が同じ町に住む私の老母との間のことであつた。私達は「町の生活」をあきらめて、東京へ移らなければならないと思つてゐたのであるが永い間機会を逸してゐた。
「移れないこともなからうが――時々、此方に来さへすれば好いんだからね。」
二人は芝生に寝転んで、空を見あげてゐた。
「おうい、おうい! 此方をお向き!」
さういふ声がするので私達が振り返つて見ると、窓から半身を乗り出して倉閑吉が切りと此方をさしまねいてゐた。別段に、傴僂といふわけはないのだが、背中の曲り工合と丈の矮小のあんばいから、それに比べて不釣合な容貌の魁偉さ、その上、いかなる類ひの婦人に対しても単なる機会次第に依つて、おそろしく大胆な恋を挑むのが習性である彼をさして、皆なは、ノウトルダムのカシモドと仇名してゐるが、
「なるほど――」
と
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