たな!」
 守吉は仰天して飛びのくと、頭をさすりながら、しかし私が真面目であるか何うかを見定めるやうに、おどけた眼つきで此方を見あげた。
 私は、吾に返つて、はつと後悔したが、もうとり返しがつかぬ気がしたので、追ひかぶせて、
「喋舌り過ぎるぞ、手前えは――」
 と威猛高になつてしまつた。守吉は突然私の威勢に驚いて、唇の色を変へた。同時に彼は私の卑怯な心底を見抜いたと思ひ違へて、瞋恚の眼を光らせながら、
「打ちやあがつた。そんなに口惜しいか――浪人野郎!」
 借金よこせ――彼はあらん限りの声で絶叫すると一緒に、転げるやうに梯子段を駆け降りた。――その誤解が二重に私を逆上させた。私は、鷲掴みにして、口をおさへてしまはうとして、飛びかゝつたが、思はず脚を滑らすと、家鳴りをたてゝ梯子段を滑り落ちた。幸ひに、尻を落して脚を先に滑つたので頭を打つ危禍を逃れたが、その物音で階下の人達が飛び出す騒ぎになつた。
「ざまあ見やがれ。」
 守吉は崖の上から覗きこんで、
「借金よこせ/\!」
 とばかりに調子をとつて連呼した。

     三

 守吉の騒ぎを聞いて、空地にあつまつてゐた大高源吾や堀部安兵衛や大石力彌や、その他五六名の、各自に飛道具を携へたいくさ人達が駈けつけて来た。
「何うしたんだい、守ちやん、早く仕度をして来ないのかい。」
 彼等は、花火の用意をして、星月夜の今宵、壮烈な夜襲を試みる計画らしかつた。――仲間のものにとり巻かれた守吉が、崖下に立つてゐる私をゆびさして、説明をはじめたらしいので、私は大きにあわてゝ、
「違ふぞ/\、待つて呉れ、守吉の感違ひなんだ。」
 手を振りながら近づいて行くと、彼等は一斉に軽い戦闘気分を漂はせて、私の左右に身構へた。――私は、決して、勝負の金を払はぬといふのではない、守吉の饒舌が煩に堪へぬので、憤つてしまつたのだ……。
「さあ、一緒に伴いて来い。」
 と云つた。
 私は、花屋の主人を使ひに頼んで、うちから冬のオーバーコートを持ち出して、質屋へ走つて貰つた。自分が、その場をしばらくの間でも立つたら、債権者が更に不安の眼を輝かせさうだつたから、その監視の許に人質となつたのである。
 私が主人から渡された九万円の中から守吉に三万円を渡すと、彼は急にてれ臭さうな嗤ひを浮べて、
「小父さん、憤つてる見たいだな――とつても好いかえ?」
 など逡巡してゐたが、やがて、一枚宛銀貨を数へながら、
「今、二千円の釣を持つて来るからね。」
「釣りなんて、いらないよ。」
「いよう、豪勢だな――えゝ毎度有りがたう。」
 守吉は同志を促して引きあげて行つた。
 枝原と進藤が定めし待ち佗びてゐることだらうと思ふと私は、急に、夢から醒めたやうに立ちあがつたが、長い時間を斯んなことで過してしまつたことが、言ひわけの仕ようもなく気恥しかつた。――秋らしい澄明な空は、いつの間にかすつかり暮れて森の上にはきらびやかなアンドロメダ星雲が瞬いて、牡牛星に導かれた「七人の花嫁」が微かに流星の彼方に光りはじめてゐた。それはさうと、流れ星が恰で降るやうだ――と私は、驚いて眼を視張つたら、それは集合の合図に挙げられる上の空地からの花火であつた。いつもは、たゞ音のするだけの花火であつたが、今日の空には、五色の玉や、滝のやうな流星が、止め度もなく打ち挙げられてゐた。それらの花火を私は、秋空の星雲と見紛ふたらしい。未だ未だ「七人の花嫁」の現れる候でもないのに、赤、青、黄と、あまりに眼ぢかく花嫁の行列が明滅するかと思へば、滝のやうに降りかゝる流星花火の翼が蝎となつて鋏を伸ばし、天秤の座に傾くと、狐や猟犬や蛇遣ひが雪崩れをうつて花嫁の後を追ひかけるのだ。そして、追ひ詰められた牡牛は、恰もさつき守吉の鋏にかかつて天秤座に衝突する私の軍兵を思はせて、大空に踊りながら見る間に馘られた。その間を見はからつて、太鼓が、カンカンと鳴り渡つた。新しい太鼓の音であることは直ぐと私にも悟られた。
 太鼓打ちをとりまいた七八人の浪士が、手に手に流星花火の筒をささげて、間断もなく挙げつづけてゐたのであるから、崖下の私に星雲の怪を想像させたのも無理もない。彼等は、太鼓を打ち烽火をあげて同志を糾合してゐるのであつた。
 そして、その傍らを脚速く素通りしようとする私の姿を認めるや――ばんざあい! といふ凱歌といつしよに、私の脚並みに合せて太鼓が鳴り出し、花火の吹雪が目眩くばかりに降りかゝつた。
「ああ、面白い面白い!」
 私は、きらびやかな凱歌に送られて恍惚としながら軍勢の間を通り抜けて、銅像の裏へ降り、山門を抜けた。
 見ると真向きの居酒屋の障子に、進藤と枝原のシルエツトが鮮かに映つて、二人は大分に酩酊したらしく、互に腕を突き出したり、胸を張つたりして、会話のやりとりにさかんであるらし
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