ないやうな歌をうたひなさい。あなたゞつてもう学生ではないぢやありませんか、隣りのマンドリンが煩いなんてよくも図々しく云へたものだ、何処にお酒を飲みに行つたつて屹度鼻つまみに違ひない、几帳面の唄となつたら春雨ひとつ知らないでせう。」
 周子は、あゝ[#「あゝ」に傍点]と深い溜息をついた。
 滝野は、身動きもせず凝つと煙草を喫してゐるばかしだつた。そして小声で、
「ゆうべも酷かつたかね。」と訊ねた。
「ほんとうにあなた、何かお習ひなさいよ、ちやんと纏つた芸を――」
「何が好いだらう、長唄でも……」
「声が悪いから、それもね……」さう云つて周子は、苦笑を浮べた。
「ゆうべはどんなに騒いだ。」
 独りだつたから大して酔つたわけでもなく大体覚えてゐたが、馬鹿/\しくて知つてる振りも出来なかつたので滝野は、狡くそんな退儀な質問を発した。――そして若し周子が、実際以上に少しでも誇張したら、軽蔑してやらうなどと思つたりした。
「いつもの通りよ。」周子は煩さゝうに云つたばかりだつた。
「いつもの通りとは、何ういふことだ、はつきり云つたら好いだらう。」
「都の西北[#「都の西北」に傍点]――を何辺やつたこ
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