リング・ド・バンヂヨウとかなどゝいふおそろしく古めかしい唱歌を恰も今日の流行小唄でゞもあるかのやうに鼻にかゝつた音声で口吟む習慣を――加《おま》けに、田舎だから、田甫道などに来かゝると、川向ひの野良で仕事をしてゐる人達の耳にまでも響くほどの誰憚からぬ大声をあげて歌ひ歩くのだ。)――あんな風に面白気に風を切つて銀座通りを押し歩いてゐるのか? あんな歩き振りを称してギンブラとかと云ふのか? あれがモダン何とかとでも云ふのであらうか?――。
そんな風に思ひ違へてしまつて、熱く憧れの眼を輝かすに至つたのである。左う斯うするうちに、或日のこと、Eといふ水車小屋の若者が思ひ切つて、おそる/\僕の袖を捉へて、実はこの間東京のデパートへこれこれの品物を、――あなたの、これを、行きずりに見た通りに絵に誌して、大至急の注文を出したのであつたが、折り返し「品切れ」といふ断りが来た。おそらく、売切れてゐるのだらう! と思ひ、途方に暮れてゐたのだが、さあ、もう斯うなると一層矢も楯も堪らなくそいつが欲しくなつたので、お願ひする、四五日の間拝借させて貰へないだらうか、これを雛形にして町の洋服屋で仕立てゝ貰ふ決心をしたのだから――と云ひ張つて諾《き》かぬのである。若者の眼つきは、僕が若し、否と云へば、暴力に訴へてゞも……と告げてゐるかのやうに烈しく気色ばんでゐた。
僕は、沈んだ調子になつて、斯んなものは流行でもなんでもない、他に着るものがなかつたので寄んどころなく、まあ、斯んな人里離れた所だからよからう位ひで始めたわけなので、村の人達に見られる度に内心冷汗に堪へられぬ思ひがしてゐたのだ。憧れの眼で見られてゐたなんて夢にも思はなかつたよ、そいつは何うも何とも恐縮の感だね、――などゝいふことを切なく述懐したのであるが、Eは返つて僕の言葉を信ぜぬ有様だ。
「君は、若しもデパートから、こんなのがとゞいたとしたならば、それを着て、ギンブラへでも赴く程の心地も持つたの?」
「勿論ですとも――」
「それは大変な間違ひだつたよ。斯んなものを着て東京へ行つたら、忽ち囚はれて、松沢病院へ案内されるに決つてゐる。」
そんな強い言葉を持つて僕が打ち消したのであるが、彼は余程物数奇な男と見へて、流行であらうとなからうと頓着ないのだ、斯うなれば私は是が非でも、それが欲しいのである――。
「あなたが――」
と彼は僕を指
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