しぼつて、ほろゝん、ほろゝんの唄などをうたひ出した容子が、鷹揚な機關手の眼《まなこ》に餘程異樣と映つたのであらう。
 ――わたしの、小田原にゐる友達の彫刻家である、何處か微かに白秋さんに似てゐるやうな牧雅雄君は、今でも陶然とする度毎には、おゝ、ほろゝん、ほろゝん、春はほうけて草葺の――といふ唄が名人で、わたしは、その唄のうたひ振りを餘程以前から、彼に習つてゐたのであるが、牧君がうたふと何んな慾深な醉拂ひでも、根生曲りの和尚さんでも、みんな思はず、ほろろん――として、丁字の花の香りに氣づき、煙つた月を見あげずには居なかつたけれど、では小生が――とわたしがあとをつづけようとすると、そんな人は居る筈もないのであるが例へば單に修辭句としての戀人でさへもが、竦毛をふるつて夢から醒めるのが常習なのである。
 それはさうと、わたしは當今、不圖した機會から、思ひも寄らぬ三崎の町に、たつたひとりで住むことゝなり、誰の竦毛を憂ふる心配もなく、ほろゝん――の唄をおもひ出し、春の波に溺れようとしてゐるのである。島への渡し舟は、片道二錢で、夜は十時限りである。
「あゝ、また乘り遲れたか!」
 わたしは城ヶ島の居酒屋で、波のひゞきに聽き惚れ、燈台のまたたきにうつゝを拔かしてゐるうちに、不圖時刻を知つて、やけ[#「やけ」に傍点]の唸り聲を發するのが屡々だつた。



 雨は降ることもなく、壘々たる磯の起伏に、たゞ見る一面なるひかりがあふれて、風來の壯子《わたし》のふかす莨の煙りが、ゆらゆらとして陽炎と見えるばかりであつた。わたしは、水際の岩の日溜りに仰向けとなつて、ぷんぷんとする島酒の宿醉を醒したがつて、空ばかりを仰いでゐると、いまにも風船のやうにふわふわと浮びあがりさうな長閑な天と湯氣のやうな陽炎を身のまはりに深々と感ずるのであつた。
 ゆうべ、島の李太白《よつぱらひ》が――一體、お前は何處から現れた何といふ男だ?と訊ね、わたしは單なる病氣の靜養者だと答へると大層酒を飮む、變てこな病人だ、お前がそれで病人なら俺だつて大病人だ、と疑つて、あはゝとわらつた。わたしは何んな場合にも、嘘や酒落[#「酒落」はママ]はいへぬたちであるが、今度訊ねられたら、俺は大河今藏といふのだ――とでもしやれたいやうな、どんな類ひのものであらうと島におくる夜といふものを全く知らないわたしは、何か芝居泌みたやうな、そして胸
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