見定めてから、馬小屋の隣りにある浴室で、闇の中でミツキイは浴《ゆあ》みをしなければならなかつた。僕は、ミツキイの入浴中、それは恰も国境を警備する番兵のやうな厳めしい顔をして、短銃を握つたまゝ張り番をしてゐるのであつた。――もう夏のちかい頃で、蛍がちらほらと飛んでゐた。
「終つたよ。出て行つても確かい?」
ミツキイは、稀な入浴時に、はじめて武装を解いた身軽さのまゝで、戸外の空気を呼吸することを希ふのであつた。――で、僕が一層眼を皿にして、あたりの気配を験べた後に、O・Kを告げると、
「ぢや、これを、あたしの窓の中へ投げ込んでお呉れよ。」
と、ほつとした彼女としての特有な声を送るのであつた。僕は、その時、未知の婦人の声を突然に聞いたやうな胸のときめきを覚ゆるのであつた。こんな山の中で、婦人の綺麗な声を聞くことが、いかにも荒唐無稽な現象のやうに思はれたり、また、こんな風な森の中であのやうな生活を続けてゐる男達が、女の夢のためには、あのやうに猛々しい狼になり変るのは当然のことであると、突拍子もない同情の念に駈られたりした。
「……タイム・イズ・トレジユア!」
僕がためらつてゐるのに気づいて、ミツキイは板囲ひの浴室の中から疳癪の声を挙げたりした。
「靴を先へ……」
と、兵隊靴をつまみあげたミツキイの腕が扉の間から僕の眼の先へ現れる。僕は、大いに慌てゝ、次々に攫み出される皮ズボンを、ジヤケツを、帽子を、肌着を、靴下を、ピストルのぶらさがつた腰帯を、夢中で抱へ込んでミツキイの寝室の窓へ投げ込むのであつた。あんな武装の下には、やつぱし婦人用の沓下留めを用ひ、コルセツトを絞め、こんなふわふわとしたシユミーズを来てゐるのか――などゝ僕は、今更のやうに、そんなものを愚かし気な眼つきで改めながら、一つ一つ窓の中へ投げ込んだりしてゐると、いつの間にかミツキイが背後に現れて、厭といふほど背中を叩いた。
月あかりで見ると、全く別人と変つたミツキイがタオルのパジヤマにくるまつて、薄らわらひを浮べてゐた。
「コンパクトの鏡と、ライタアの光りで、ちよつとお化粧をしたのよ。」
「……そんな美しい顔に!」
と僕は思はず叫んだ。「また、これから、直ぐに、あんな毒々しいセピア絵具を塗らなければならないかと思ふと、僕は大分もう山の生活が呪はしくなつて来たよ。」
朝の発荷を終へると、乗馬は事務所のラ
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