ナイト》に変つたのを見て私は、
「空を飛んで、酒樽をうけとりに来たのだ。通達状は白鳩の矢にはさんで、屋上に届けておいた。」
さう云つて、胸先をさすつた手の先をこれみよがしに主の前に差し伸した。そして、ははははとわらつた。
「夜盗だ。夜蔭に乗じて垣を乗り越へて潜入した曲者と、私は取引きいたす手段《てだて》は弁へぬわい。」
「臆病窓から腕を伸させて、俺達の金袋を掠奪させた代償に酒樽をうけ取りに来たのだ。」
「門から訪れをうけた時に、埒はあけよう。」
「強力を用ひても担ぎ出す魂胆で、俺達は堂々と門を叩いたのだ。何を隠さう、そこに控へる三人の官吏は、お前方のお得意様の道案内だ。」
すると主は傍らの男衆に向つて、
「裏門に閂を容れて、番犬《ネロ》を放せ――」
と命じた。四人の男共が、とるものもとりあへず裏手の方へ走つた。そして、主は、さつきの私の嗤ひを真似るが如き陰気な高笑ひに皮肉味たつぷりと、
「左う聞いたからには、手前達は袋の鼠も同然だ、執達吏ときいて止胸を打たれたが――何の態か、振舞酒に現を抜してあの態たらく……」
と肚を抱へた。
執達吏共は、まことにその嘲笑に相当する大振子と変つて、眼を据えたまゝ無何有の境に、私共を裏切つた。
「さあ、さあ、酒は何樽でも御所望次第、持つて行かれるものならば此場から御遠慮なしにお運びになつたらいかゞなものだ?」
「もう一度、申して見給へ。」
私は彼の卑怯性では従来再三ならず手を焼いた経験を持つてゐるので、さう念をおしたついでに兵田の鞄から紙片をとり出すと、
「書状を書いて御覧な。」
と、わざと冗談めかしく所望した。
「書かうとも/\!」
彼は筆をとりあげて、
「この月の曇らぬ間に、この酒樽を持ち出すならば……か」
などゝ読みあげながら、まことに antic な契約書をさらさらと認めて、
「私の屋敷は、この通りに見事な鬱蒼たる木立にとり囲まれて、月の在所に関はりのない砦であるから、要とあるならば高張提灯を貸さうかの?」
などゝ云つてゐる間に私が、もう一辺、意味のない洞ろな高笑ひで、かけす[#「かけす」に傍点]の擬声を仄めかすと、抜きあしで忍び寄つてゐた七郎丸と権太郎が綱の先の鉤を酒樽の懸縄にがつちりとくわへさせた。
気合ひで、それを察すると私は、見るも意地悪気に頤を伸してゐる主に向つて、
「曇るも曇らぬも待つ間もなく――」
と、非常に大きな声を張り挙げて、
「たつた今、ものゝ見事に持ち出して見るから見物するが好からうよ。」
と叫ぶがいなや、腰にさした横笛を引き抜いて、
「Tattoo Tattoo Tattoo !」
と最高音に吹き鳴した。
呼応の声が塀外から、どつと巻き起つたと同時に、頭上の梢に滑車の軋みがきりきりきりきりとものゝ見事に Fiddle の伴奏のやうに響わたると、さながら大仏の頭のやうな酒樽が空中高く舞ひあがつた。
樽は宙で一息衝くと、塀外から三叉の鉤をつけた長竿が現れ、おもむろに力をゆるめる綱といつしよに、見る間に、向方の月あかりの奈落に影を没した。それと一処に再び梢の上から二番目の綱が投げられると、時も移さず Tattoo の合図で二つ目の樽が宙に浮ぶ――それ曳け、曳け曳け!
巨大な蜂の巣と見紛ふ梢に懸つた樽の有様を見上げて、私はしばし、この世にも奇怪な光景から魔呵なる恍惚の浴霊に浸ると、月を信仰する北方の蛮族の夢に駆られて、思はず、
「有りがたい/\!」
と念じながら、その下にひれ伏した。
酒樽が金色の暈にきらめきながら、怖ろしい白光を放つた。そして、
「クララ、クララ、クララツクス、クララツクス!」
といふ音響を発した。
「おゝ、あれはローマの Caligula 皇帝が、アポロの殿堂からツオイスの神像を持出さうとして、その手を像に触れた瞬間、神像が発した笑ひ声である。――はからずも音無の森でツオイス像の高笑の御声を聞かうとは何たる妙佳なことであらうよ。」
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(註。ツオイス像の姿に接して、その高笑ひの響きを聞きたる者は、幸福に恵まるゝといふ伝説あり、また一説にはツオイス像は芸術品の極致を象るものにして、何人と雖もこれを一瞥するならば胸に永遠に絶へざる歓喜の泉を蔵するに至るとあり。)
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「クララ、クララツクス、クララ……」
不思議な高笑ひの声が、高く低く梢から梢へ韻々とこだまして、月の暈を目がけて飛んで行つた。
「先生、何を斯んなところで有りがた涙を滾してゐるんです?」
七郎丸が私を促すのであつた。
「だつて、君には、あのツオイスの声が聞えぬのか……おゝ、次第に遠ざかるよ。」
「あれは音無家の者共が、吾々の策略に舌を巻いて逃げて行く悲鳴の声でありますよ。」
さう云はれ
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